「本気で言ってたら一緒に漫才やってねえよ」
若林正恭が「どーもー」とセンターマイクの前に立っても、まだ相方の春日俊彰は後方を堂々とゆっくり歩いている。ようやく中央に辿り着くとさらに大きく胸を張り、左腕を指しながら言う。
「春日のココ、空いてますよ」
すかさず若林が「ま、誰も入りたい人はいないんですけどね」とあしらうと春日は「ヘッ!」と不気味に笑う。オードリーのお馴染みの登場シーンである。
「デートとかしたいですね」と若林が話題を振ると「そんなわけねえだろ!」と春日がツッコむ。それに対し「何もボケてないのになんでツッコまれたかわからないですけどね」とかわす。そんなボケとツッコミが噛み合わないようなやり取りが続いていく。
待ち合わせは早いほうがいいと若林が言えば、春日は「朝5時にしろよ!」と返す。当然若林は「早すぎるだろ!」と額を叩く。さらに若林の「手を繋いで町を歩いていくわけですけど……」という言葉を遮るように「キスをしろよ!」とツッコむ春日にやはり「早すぎるだろ!」とツッコミ返す。もうその頃には若林に叩かれた春日の額は真っ赤だ。
「夜景が見えるところで女の子と見つめ合う。ここでキスね」と言う若林に今度は春日が「早すぎるだろ!」と間違ったツッコミ。
そんな春日に「お前と漫才やってられねえよ」と若林。「お前、それ本気で言ってるのか?」と問われると「本気で言ってたら何年も一緒に漫才やってねえよ」と返す。するとふたりは向き合って笑い合う。
「エヘヘヘへ」
これがオードリーの代名詞“ズレ漫才”の「デート」だ。
その瞬間「ズレ漫才」の構造ができあがった
オードリーには結成から約8年間、テレビにまったく出られなかった下積み時代がある。
その頃、役割が現在と逆で、若林がボケ、春日がツッコミだったのは有名な話だ。しかし、オーディションでは「どう見ても春日はツッコミとしてポンコツ」などと言われる始末。思案した若林は自分たちを徹底的に見直そうとライブを開催することにした。
だが、ライブ会場を借りる金はない。そこで会場となったのが「むつみ荘」。いまや有名になった風呂なし6畳一間の春日が住むアパートだ。10人も入れば満員となる“会場”。隣の部屋に声は筒抜けだ。「小声トーク」と名付けられたそのライブの目的はハッキリしていた。トークの模様をすべて録画し、ウケている部分とそうでない部分を分析していったのだ。すると、若林はあることに気付く。
春日のツッコミがほとんど間違っていたのだ。翻って、もっともウケていたのが、春日の間違ったツッコミに若林がツッコミ返すときだった。 そうか! ツッコミの場所が違う、ニュアンスが違う、そんなツッコミができてないというのをそのまま漫才でやればいいのではないか。
若林は「思いついた瞬間気持ち悪くなった」というほどの天啓を得たのだ。その瞬間、「ズレ漫才」の構造ができあがった。
「夢」を諦め、「辞める」こともできなかった
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