左から、溝口彰子さん、田亀源五郎さん、エスムラルダさん。
BLの攻め・受けとゲイの世界でのタチ・受けは違う?
【質問者1】 BLにおける攻めと受けの関係と、ゲイコミックにおけるSMの関係で、共通したところ、あるいは違うところがあるのか興味があります。お考えを聞かせていただければと思います。
田亀源五郎(以下、田亀) まず、ゲイの世界では、基本的には「攻め・受け」という言葉は使っていませんでしたが、最近「受け」は使うようになってきました。“攻め”はまだないかな。昔は「タチ・ネコ」だったんだけど、今はもう「ネコ」は古いかも。
エスムラルダ(以下、エスム) たしかに、ゲイは、「攻め」とはいまだに言いませんね。「受け」は普通に言いますが。
溝口彰子(以下、溝口) 「受け」という言葉が使われるようになったのって、BLからの流れでしょうか?
田亀 私はそうじゃないかと思う。
溝口 なるほど。で、BLでいうと、まず今は作家と編集者のほとんどは女性で、読者は最近若いゲイが増えてはいるけど、それでもおそらく95%以上は女性です。もともとキャラクターは攻めと受けに分かれていて、攻めのルックスはより男らしく、セックスにおいては挿入する側で、受けのルックスはより女らしいし、セックスにおいては挿入される側です。つまり、アナルセックスによって挿入する側・される側というのがかっちり決まっていたんですね。
エスムラルダ(以下、エスム) なるほど。「挿入する・される」がかなり不可逆的な男女の関係のようだった、と。
溝口 そうです。今も大多数の物語での攻めと受けはそういうものですが、でも最近少しずつ、カップルの関係が深まるにつれて、セックスにおける役割が逆になることもある作品が増えてきました。この関係性は「リバ」といって「リバーシブル」のことなのですが、90年代は基本的にタブー扱いでした。というのも、多くの読者さんが、男女の異性愛のドリームをBLに、わりと厳格に反映していたから、「Aが男役でBが女役」と思っていたのに、リバでそれが逆になると「えっ!?」と引いてしまう人も多かった。
でも今は、「攻めは長身、受けは小柄できゃしゃ」みたいな体格差が必ずしもあるわけではないカップルも増えてきています。進化形BL(※)の代表例である『同級生』シリーズも、一応攻めと受けはあるけれど体格差はそんなにないし、『昭和元禄落語心中』で人気の雲田はるこさんの『いとしの猫っ毛』シリーズなども、同じような体格のふたりで、シリーズの途中からは「今日は僕が挿入したい」という日もあるような感じになっています。
※進化形BL:溝口さんが『BL進化論』で定義した概念。2000年より前のBLでは背景に退いていた女性キャラを重要な役割として描いたり、ゲイ・キャラクターたちのカミングアウトや周囲との葛藤をめぐる悩みも描くことで、LGBT的に現実社会よりも一歩進んだ世界を描いた作品群のこと。
エスム リバのハードルが、昔よりは低くなってきているんですね。
溝口 そのようです。それから、BLにおけるSMプレイについては、ほぼないといってもいいです。小説ではときどきあるくらいで、マンガではとくに、描写がハードになるからか物語の本編ではほとんど見かけることはないですね。まれにあっても、「本格的なSMプレイをしよう」というよりは、拉致監禁があって、その際に手錠や首輪を付けられたりするくらいでしょうか。あと、一部の小説では、メインのラブラブの物語ではなく、それに付随する短編で、「彼らが出会ったときは“ご主人様”と“犬”の関係で、そこからなぜかラブになり……」みたいなものはあるけど(笑)、やはりメインにSMを据えているものはほぼないですね。
ゲイの世界にはカップリングの発想はない?
田亀 ゲイの世界でいうと、そもそもフィクションであろうと現実であろうと、タチだの受けだのは気にしないよね? 自分が誰かとセックスをするとなって初めて、「この人はタチなのかな受けかな?」と気になるものであって、たとえばゲイカップルを見て「どっちが攻めだ」とか、キャラクター単体を見て、「この人は受けだ」みたいなことは想像しないと思いますね。というのも前に私、あるノンケのマンガ家さんから、某メジャーマンガのキャラクターを挙げられて、「田亀さん的にはこの人は攻めですか? 受けですか?」って言われて。……私、まったくその発想がなかったから、固まってしまって。
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