「市蔵、弥八郎、来たぜ」
一升徳利を置くと、「どっこいしょ」と言いつつ嘉右衛門が墓の前に座った。
穏やかな夏の風が、すっかり白くなった嘉右衛門の鬢を震わせる。
「お前らは仲がよかったからな。こうして並んでいるのを見ると、まるで生きているようだ」
弥八郎の墓は市蔵の墓と隣り合わせの場所にした。厳密には弥八郎は嘉右衛門の跡を取っていないので、惣領墓には入れられない。不憫だったが、市蔵の隣の方が、弥八郎は喜んでいるように感じられる。
「これからは、ここにもそうは来られないぞ」
嘉右衛門は、ここのところ足腰が弱ってきているのを自覚していた。
「それでも今日は何とか来られた。まずは飲もう」
嘉右衛門は立ち上がると、二人の墓石に酒を掛けた。
「河村屋さんが、正次さんの背後に回って金を出してくれたおかげで、作事場は元通りになった。今は丸尾屋から重正たちも追い出され、正次さんら年寄が仕切っている。わいらの作事場でも千石船を造れるようになったんで、かつての嘉右衛門組の面々も戻ってきた。すべては元通りだ」
嘉右衛門が墓に向かって語り掛ける。
「わいがいなくても作事場は回っている。磯平と熊一がしっかりしているからな。だからわいも身を引くつもりでいたんだが、河村屋さんが各地の作事場に千石船の造り方を伝授してくれと言うんだ。それで、これから各地を回ってくる。それにしても、人様から頼りにされるってのは、うれしいもんだな」
嘉右衛門が誇らしげに続ける。
「ひよりはここにいて、わいの面倒を見たいと言ってくれた。だが河村屋さんが、ひよりに商いを覚えさせたいというので、大坂に連れていってもらった。あの娘は賢い。見込みのあるもんを、こんな狭いところに閉じ込めておくわけにはいかねえ。わいもそれでよかったと思っている。大坂の河村屋さんの店には、清九郎さんとこの孫四郎も来ている。だが孫四郎は商人になるためではなく、大坂で本場の船造りを学ぶんだとさ。清九郎さんも喜んでいることだろう。これからの時代、ひよりや孫四郎のような若いもんが、この国を引っ張っていくんだ」
初めは「この島から離れたくない」と言っていたひよりだったが、七兵衛から「若いもんは何でもやってみることだ」と説得され、大坂で生きることを決意した。
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