一か八かだ」波濤の果て ー 8

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 —そろそろ来るな。

 船首付近に立ち、身じろぎもせずに海を見つめる嘉右衛門は、敵がゆっくりと身を起こそうとしているのを感じていた。

 —お前が弥八郎を殺したんだな。

 嘉右衛門が心のやいばを抜く。だが佐渡の海は、嘉右衛門など相手にならぬと言いたげに、うねりの矛先を徐々に鋭くしてきている。

「嘉右衛門さん、そろそろお神楽かぐらに入るぜ」

 清九郎の声に振り向くと、清九郎、磯平、熊一の三人が降りかかるなみ飛沫しぶきをものともせず、背後に立っていた。

 お神楽とは、船子たちの言葉で暴風圏のことだ。

「上等じゃねえか。祭りは派手な方がいい」

 嘉右衛門が笑うと、三人の顔にも笑みが浮かんだ。だが、三人とも緊張しているのは明らかだ。

 —わいも同じだ。

 嘉右衛門とて海の怖さは熟知している。だが、ここまで来て逃げるわけにはいかない。

 先ほどよりもうねりは高く不規則になり、風も激しく吹きつけてきている。

 嘉右衛門らが黙って海を見ていると、背後で甲高い声が聞こえた。

「どけどけ、邪魔だ!」

 船子たちが合羽や矢倉板の上を駆け回る。船首付近に四人も立っているので、作業の邪魔になっているのだ。

 それに気づいた磯平が言う。

「わいらは船底に下りてスッポンの支度をします」

「おう、任せたぞ」

 磯平が熊一と共に船底に下りていく。今のところ水漏れ箇所はなく、海水もさしてかぶっていないので、船底に水は溜まっていない。

 —だが、それも海の荒れ方次第だ。

 嘉右衛門の心配事は、もう一つあった。

「外艫と舵を見てくる」

 嘉右衛門が船尾方面に向かおうとすると、清九郎がそれを制した。

「まずは、わしが見てくる。頭はどっしりと構えていた方が、船子たちも安心する」

 そう言うと、清九郎は船尾に走り去った。

 —その通りだ。

 嘉右衛門はその場にとどまり、海をにらみつけた。

 先ほどにも増して海はたけり狂い、勝海丸をのみ込もうとしている。それでも次々と襲い掛かる魔手を巧みに回避し、勝海丸は一途に佐渡に向かっていた。

 その時、背後で船頭の声がした。

「この船はいい。帆の張り具合に船がすぐに反応する上、舵の取り回しが楽だと親仁たちが言っている」

 船頭の下には帆頭や舵頭といった専門の親仁(長)がいる。

「そうか。今のところ、舳をうねりの腹にうまく当てられているようだな」

「ああ、舳の角度が急なんで、舳から水をかぶることもない」

 様々な工夫が功を奏してきていることに、嘉右衛門は手応えを感じていた。

 その時、視線の端に何かが捉えられた。

 水平線に、これまで見たことのない何かが広がっていた。それは最初、白い線のように見えたが、すぐに線は太くなってきた。

「船頭さん、あれは何だ」

 船子たちに指示を飛ばしていた船頭が、嘉右衛門が指差した方を凝視する。

「あれは、まさか—」と言うや、船頭は「間切りだ。間切りで北東に走れ!」と慌てて指示を飛ばす。

「どうしたんだ」

「あれは『地獄の窯』だ」

「わいらは、『地獄の窯』のある場所を通っちまったのか」

「いや、窯の位置は一定していない。だから『地獄の窯』は厄介なんだ」

 気づくと白い線は面になり、眼前に迫っていた。

「何やってんだ。間切りで北に向かえ!」

 船子たちが帆の角度を調整し、舵も北に向けられた。だが勝海丸は、横流れするかのように「地獄の窯」へと向かっていく。

「どうなってるんだ!」

「引っ張られているらしい」

「どうして引っ張られる」

「窯に向かう潮に乗せられたに違いない」

 船頭が口惜しげに舷を叩く。

「このままだと、窯の中に入るしかねえってことか」

「ああ、潮の流れに乗ってるんで抜け出せない」

「だが、新潟から佐渡に向かう時は、向かい潮じゃねえのか」

「いや、潮の流れが海の中で入りくんでいるんだ。この船は知らぬ間に追い潮に乗っていた。だから、さっきまで舵の取り回しもよかったんだ」

「どうにかならねえのか」

「もう無理だ。窯に突っ込むぞ!」

 ほどなくして勝海丸は波濤渦巻く「白い海」の中に入った。そこは白い地獄だった。

「舵柄が吹き飛ばされないように固定しろ!」

 船頭が船子に怒鳴る。

「嘉右衛門さん、仕方ねえ。荷打ちしよう」

「何だって!」

 事態はそこまで切迫していたのだ。

「窯から運よく抜け出せればいいが、出られなければ、中で潮が落ち着くのを待つしかなくなる。その前に荷打ちしておこうと思うんだ」

「『つかし』でかわせないのかい」

「無理だ。『つかし』は潮と風の方角が一定している時に有効だ。窯の中では翻弄されるだけで、下手をすると、追い潮を受けて舵と外艫が壊される」

「でも、米俵を捨てちまったら佐渡が飢える」

「それは分かっている。だがな—」

 船頭が唇を嚙む。佐渡島が生まれ故郷の船頭にとっても、一千石の米を何としても佐渡島に運び込みたいのだ。

 その時、磯平と熊一が船底から上がってきた。

「お頭、先ほどから水位が増し始めました」

「どれほど水が溜まっている」

「くるぶしと膝の間です」

「スッポンを使って、何とかそこで止めておけ」

「しかし、それ以上溜まったら—」

 磯平が心配そうな顔で言う。

「水は漏れてきていねえな」

 熊一が確信を持って答える。

「はい。今のところ漏れている箇所はありません」

「スッポンを止めるな。膝下なら心配要らねえ」

 スッポンが一定量の排水をしてくれるので、膝下くらいの浸水を保てれば、操船に支障はない。

「分かりました。下に戻ります」

「よし、頼んだぞ」

 二人が船底に下りていくのと入れ違うようにして、清九郎が船尾から走ってきた。

「舵が悲鳴を上げてる!」

「羽板がばたついているのか」

「ああ、これでもかというほど鷲口に当たっている」

 舵は外艫の間に穿うがたれた鷲口という穴から外に出ている。和船で最もぜいじやくな部分が舵の羽板と外艫の鷲口部分になる。

 —このままだと、羽板が吹っ飛ぶか外艫が破壊されるかもしれない。

 舵の羽板は身木(舵軸)に固定され、身木の根元が外艫に尻掛けなどで固定されている。その固定された部分を堅固にしたため、羽板への負担が増しているのだ。

「清九郎さん、尻掛けと前掛けを緩めてくれないか」

「どうしてだ。そんなことをしたら、舵ごと持っていかれるかもしれねえぞ」

「分かっている。しかし羽板が吹っ飛んだら同じことだ。羽板への負担を和らげるには、身木にも負担させるしかねえ」

「そうか—」

 清九郎がしばし考えると言った。

「やってみよう」

「頼んだぞ」

 清九郎が走り去る。

 —こいつはお神楽どころじゃねえな。

 立っていられないほどの風が横殴りに吹きつけ、うねりの大きさは勝海丸の帆柱を超えている。

「嘉右衛門さん!」

 船頭が再びやってきた。

「もう駄目だ。荷打ちしよう」

「いや、待ってくれ」

「舵が利きにくくなっている。このままだと操船は厳しくなる」

「分かっている」

「様子を見ながら、少しずつ荷打ちすればいいじゃねえか。五百石も残せればめっけもんだ」

「そこまで言うなら仕方ねえ」

「そうだよ。命あっての物種だ」

 船頭が荷打ちの指示を出そうとしたその時、嘉右衛門は異変に気付いた。

「船頭さん、ちょっと待ってくれ」

「もう駄目だ。一刻を争うんだ」

「いや、あれを見てくれ」

「何をだ」と言いながら、嘉右衛門の指差す方角を見た船頭が、「あっ!」と驚きの声を上げた。

 そこはあまり白波が見られず、うねりもさほど大きくないように思える。

「もうひと踏ん張りで地獄の窯から抜け出せる」

「そうか。窯は丸くはなかったんだ」

 潮目は海底の地形によって形を変える。二つの潮流の合流点の海底地形によっては、窯は丸くもなれば、細長くもなるのだ。

「船頭さん、帆を七分にし、舵に負担を掛けないために舵を三分の一ほど収め、窯を斜めに突っ切るんだ」

「よし、分かった」

 船頭が船子たちに指示を飛ばす。

「帆を七分にして舳を丑寅に向けろ! 舵を三分の一ほど収めるんだ!」

 船頭の指示により、勝海丸は東に横滑りするような形で窯の外を目指した。

「そうだ。いいぞ。もう少しだ」

 嘉右衛門は、つい内心の言葉を口に出していた。

「焦るな。ゆっくり進め」

 左右から襲ううねりに翻弄されながらも、勝海丸はじりじりと窯の外に向かっていた。

 その時、船に強い衝撃が走った。

「どうした!」

 振り向くと清九郎が血相を変えて走ってくる。

「嘉右衛門さん、舵を収めようと前掛けを引いたら吹っ飛んじまった!」

「何だと—」

「今、舵は尻掛けだけで固定されている。だが前掛けが吹っ飛んだ衝撃で、尻掛けにも、ほつれが出始めている」

 —やはり外艫か。

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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