生きることを楽しめるようになる、か。」波濤の果て ー 7

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

「待っていたぞ!」

 嘉右衛門たちが桟橋に降り立つと、七兵衛が抱きつかんばかりに出迎えてくれた。その背後から、新潟の商人たちが続く。

「厄介事は何も起こらなかったか」

「へい。万事順調でした」

「そいつはよかった。懸案だった外艫や舵も無事だったんだな」

「何ともありませんでした」

「そいつはよかった。だが油断は禁物だ」

「分かっています」

「よし話は後だ。今宵は宴席を用意しているので、まずは飲もう」

 船に残って水漏れ箇所を検分するという磯平と熊一を残し、嘉右衛門と清九郎は七兵衛の設えた宴席に向かった。

 宴席には地元の商人たちも参加し、新潟芸妓の舞い踊る中、酒が酌み交わされた。

 —ここまでは、うまくいった。

 それを思うと、酒の味もひとしおうまく感じられる。

 宴も終わり、宿に戻ろうとした嘉右衛門と清九郎だったが、七兵衛の「もう一献つき合え」という言葉に従い、別室に入って三人で飲むことになった。

「お前らはようやった」

 七兵衛が二人の盃に酒を注ぐ。

「ありがとうございます」

「お前らは過去とのしがらみを断ち切り、全く新しい発想で千石船を造ったんだ」

 確かに身に染み付いた知識や経験を捨てなかったら、千石船は造れなかった。

 —思えば、わいの年で、よくぞ新しい知恵がわき出てきたもんだ。

 だが、嘉右衛門には分かっていた。

 —どん底に落ちたからこそ、そうした知恵を絞り出せたんだ。

「わいには夢がある」

 したたかに酔った七兵衛が言う。

「勝海丸が佐渡の荒海を乗り切ったら、わいは勝海丸の木割や差図を書き写させ、諸国の船造りたちに配るつもりだ」

 清九郎が驚きの声を上げる。

「そんなことをしたら、河村屋さんが銭元になって造り上げた千石船が、諸国に広まっちまう。それでもいいんですか」

「ああ、構わない。わいかて商人だ。そりゃ、金はいくらでももうけたい。お上に頼めば、千石船の船造りは認可制となり、わいが独り占めできるだろう。だが、そんなせせこましいことをしても、もうかる金はわずかなものだ」

「わずかなものって—、相当のものになるんじゃないんですか」

 清九郎が驚いたように問う。

「だろうな。この国の海に、河村屋だけの千石船を浮かべれば、わいは日本一の商人になれるどころか、今の身代が五倍くらいになるだろう」

「それをなぜ—」

「わいに小欲はない。わいにあるのは大欲だ」

「大欲と—」

「そうだ」と言いながら七兵衛が二人に酒を注ぐ。

「大欲とは目先の利を捨て、先々にあるはずの大利を得ることだ。考えてもみろ。この国を取り巻く海のすべてに千石船が走り回るんだぞ。それだけ商いが活発になれば、新たなもうけ口が次々と見えてくる。だが千石船の数が限られている限り、そいつは見えてこない」

 —認可制で利益を独占するよりも、千石船を爆発的に広げることで、新たなもうけ口を見つけていくということか。

 嘉右衛門にも、七兵衛が言わんとしていることが分かってきた。

「何事にも通じることだが、隠していては何にもならない。お前ら大工の中には、父祖からの秘伝などと言って、跡取りにしか教えない知識があるだろう」

「へ、へい」

「そうしたものには何の値打ちもない。職人が何かを隠して伝えていくとか、商人が何かを独占するとか、わいは、そういうものが大嫌いだ」

 七兵衛が勢いよく酒を飲み干す。

「あらゆるものを商売敵に見せちまえば、それを真似た商売敵が、新たなもうけ口を見つけてくれる。次は、わいがそれに乗っかる番だ」

「恐れ入りました」

 清九郎がため息をつく。

「此度の仕事はそれだけ凄いことなんだ。お前らが冬の佐渡海峡を乗り切った時、時代が変わる」

「時代が変わると仰せか」

 嘉右衛門と清九郎が顔を見合わせる。

「そうだ。わいは大風呂敷を広げているわけじゃない。物が大量に運べるようになれば、もう飢える者はいなくなる。米や穀類が余っている地から足りない地、すなわち江戸や大坂へと一気に運べるんだ。そうなれば、江戸や大坂に住む人の数は増え始める。米、塩、味噌といった必需品だけじゃない。酒や煙草といった嗜好品が諸国に行きわたり、誰もが生きることを楽しめるようになるんだ。つまり時代の中心は武士から商人へと変わる。おっと、こいつは口が滑った」

 七兵衛が口を押さえ、おどけた仕草をする。

 —生きることを楽しめるようになる、か。

 嘉右衛門は、日々の生活を楽しみたいなどと考えたこともなかった。だが七兵衛は、そうした古い考えを変えようとしているのだ。

「物が豊かになれば、人に余裕ができる。そうなれば、人はもっと豊かになりたいと思って懸命に働く。その繰り返しによって、人は生きることが楽しいと思うようになる」

「なるほど。そのために最初に行うべきことが、大量の物を運ぶことなんですね」

 清九郎が感心したように言う。

「そうだ。これから世の中は変わっていく。それを変えるのは物を運ぶ力だ」

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

この連載について

初回を読む
男たちの船出

伊東潤

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「船」 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーシ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません