これは、スッポンという〝からくり〟だ」波濤の果て ー 5

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 まばゆいばかりの四月の陽光を浴びながら、便船が小木港内に入ってきた。

 —七兵衛さんは乗っているだろうか。

 便船が垂らし(錨)を放り込むと、瀬取船が集まり、乗客たちを移している。

 乗客を乗せた瀬取船が小木港の桟橋に近づいてくると、その船首付近に大柄な七兵衛がいるのが分かった。

 数人の従者を従えた七兵衛が桟橋に降り立つのを、嘉右衛門たちは並んで迎えた。

「皆、そろっているな」

「へい」

「よし、ここまでの話を聞かせてくれ」

「もちろんです。どうぞこちらへ」

 七兵衛一行を宿根木の作事場へと導こうとした。その時、嘉右衛門は最後尾に付き従っている娘に気づいた。

「あっ、ひよりじゃないか」

「はい。お久しぶりです」

「えっ、ひよりちゃんかい!」

 啞然とする嘉右衛門の背後から梅が飛び出す。

「ひよりちゃん、よく来てくれたね。兄さんのことは聞いたんだね」

「はい。河村屋さんから聞きました」

 すでに心の中で整理がついているのか、ひよりは顔色一つ変えずに答えた。

 —大人になったな。

 その酸いも甘いも知ったような顔つきは、すでに大人の女のものだった。

「ひよりちゃんも、ここに来たかったんだね」

「はい。皆さんが弥八郎さんの仇を取ると聞き、わたしもお役に立ちたいと思い、河村屋さんに無理を言って連れてきていただきました」

「そうだったのかい。皆で力を合わせてがんばろうね」

「はい」と言って皆の方を振り向いたひよりが、清九郎たち佐渡の面々に深く頭を下げる。

「佐渡の皆さん、弥八郎さんがお世話になりました」

 その姿は、まるで弥八郎の女房のように見える。

 慈愛の籠った眼差しで、ひよりの様子を見ていた七兵衛が言う。

「まずは皆で弥八郎の墓へ行こう」

 七兵衛に肩を叩かれたひよりは、「はい」と答えて歩き出した。

 ひよりを気遣う七兵衛の姿を見れば、七兵衛から弥八郎の死を聞かされた時、ひよりが取り乱したのは間違いない。だがひよりは、自分の中で悲しみに折り合いをつけ、嘉右衛門たちを手助けしたいという一心で、佐渡島にやってきたのだ。

 —よく前を向いたな。

 ひよりは悲しみの中から立ち上がり、前に向かって歩き出していた。

 嘉右衛門は、ひよりのためにも佐渡の海に勝たねばならないと思った。

 弥八郎の墓に詣でた後、一行は清九郎の作事場に入り、今後のことを話し合うことになった。

 嘉右衛門や清九郎から木割と差図ができるまでの経緯を聞き終わった七兵衛が、満足そうにうなずいた。

「一月余で、よくぞここまで詰めたな」

 嘉右衛門が答える。

「安乗丸遭難の有様をつぶさに聞き、その轍を踏まないように知恵を絞りました」

「そうか。ということは、弥八郎の死は無駄じゃなかったんだな」

 —河村屋さんの言う通りだ。お前の死は無駄じゃねえ。お前の死は、わいら船造りが前に進むために必要なことだったんだ。

 真新しい木割と差図から目を離し、七兵衛が唇を嚙む。

「だが、油断はできないぞ」

 清九郎が答える。

「心得ています。佐渡の海を甘く見てはいません」

「そうだ。何事も万が一に備えねばならない。わいも大坂で木材の手配だけをしていたわけじゃない。お前らに見せたいもんがある」

 七兵衛が合図すると、数人の従者が外に走り出て、引いてきた車の一つから何かを運んできた。

 それが何かの〝からくり(装置)〟なのは分かるが、一見しただけでは何のために使うものか見当もつかない。

「これは、スッポンという〝からくり〟だ」

 七兵衛は立ち上がると、二人の従者を向かい合うように立たせ、左右二つあるとつを握らせた。

「呼吸を合わせてこいつを押し込むと、船底にたまった水が、この管を伝って外に吐き出される仕組みだ」

 管は十分に太いので、スッポンによって排水効率が格段によくなるのは間違いない。

 —一つずつ厄介事が片付いていくな。

 大きな峠を一つ越すと、また次の峠が見えてくる。だが根気よく歩いていけば、どのような峠でも次々と越えていくことができるのだ。

「ところで、船の名は決めたのか」

 七兵衛が嘉右衛門に問うてきた。

「はい。まだ誰にも言っていませんが、心中で決めている名はあります」

「言ってみろ」

 嘉右衛門は大きく息を吸うと言った。

「勝海丸です」

「か、つ、み、まるか—」

「はい。佐渡の海に勝つことを祈念して付けました」

「こいつはいい名だ!」と言って七兵衛が膝を叩く。

 それで船の名は決まった。

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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