作事場では、宿根木の女たちが総出で食事の支度をしていた。
「今年は不作で、佐渡では白米が穫れなかった。申し訳ないが、稗や粟で勘弁してくんな」
清九郎が申し訳なさそうに言う。
ただでさえ田の少ない佐渡島だが、とくに今年は天候が不順で、米が実らなかったという。
「とんでもねえ。これで十分だ」
米はなくても、海の幸はふんだんにある。
「まずは腹をこしらえてくれ」
塩飽衆は感謝の言葉を述べながら、佐渡の魚介類に舌鼓を打った。
その後、清九郎の息子の孫四郎と船頭がやってきて、遭難した時の状況を語ってくれた。
「そうだったのか」
孫四郎が半泣きになって言う。
「あの時、弥八郎さんが一人で踏ん張り、時間を稼いでくれなかったら、伝馬船を下ろすことはできませんでした」
「そうか。弥八郎は最期まで人様の役に立ったんだな」
「その通りです。でも弥八郎さんは冥土に旅立ってしまいました」
「そいつは仕方ねえことだ。それより船頭さん——」
「へい」と船頭が顔を上げる。
「つまり、こういうことかい」
嘉右衛門が安乗丸遭難の経緯をまとめる。
「まず尋常じゃないほど海が荒れ、横波をかぶって船が重くなった」
「そうなんです。いつもなら波頭に水押をぶつけて水を入れねえようにするんですが、とにかく三角波が四方から襲い掛かるもんで、それができないんです。そのうち船底に水が溜まり始め、さらに舵の利きが悪くなっていったんです」
——つまり、まず水をかぶらないようにすればいいんだな。だが千石船は大きく重いので、舵の利きが遅い。だから水をかぶらざるを得ない。それを避けるにはどうする。
「孫四郎さん」と嘉右衛門が呼び掛ける。
「へ、へい」
「それだけじゃなく、接ぎ目からも水が漏れてたんだな」
「そうなんです。それで弥八郎さんと船底まで下りて、檜皮打ちを行いました」
「だが、水の浸入を防ごうとしても、次から次へと浸水が起こったんだな」
「はい。とりあえず二カ所の補修を行いましたが、そのほかにも起こっていたと思います」
——接ぎ目から浸水することは、よくあることだ。だが千石船の場合、小さな船よりもはるかに大きな板を合わせてあるので、接ぎ目自体が長くなる。船体が波に洗われているうちに歪みが生じ、それで浸水が頻発するということか。
安乗丸の場合、航の長さは、おおよそ五十五尺(約十六・七メートル)、幅は五・五尺(約一・七メートル)、厚さは一・一尺(約三十三センチメートル)という巨大なもので、曲線部も多くなる。そのため荒波を受け続ければ、船体自体がたわみ、隙間が生じる。
そこで、何枚もの大板を接合する「はぎ合わせ」と、はぎ合わされた大板を組み立てる際、釘を打つ前に大板どうしの合わせ目に隙間がないようにする「摺合わせ」を丁寧に行う必要がある。
——そいつを、よほどうまくやらないと安乗丸の二の舞だな。
清九郎が口を挟む。
「おそらく、接ぎ目が長すぎたんだろう。だが安乗丸を造った時、そのことは事前に危惧されていた。だから『はぎ合わせ』と『摺合わせ』は、磯平が丁寧に行っていた」
——となると、大工の技では及ばないな。
接ぎ目からの浸水を防ぐことは、完全にはできない。だとすると排水を効率化するしかない。だが人手にも限界がある。
「分かった。それは後だ。次に孫四郎さん」
「へい」と言って孫四郎が顔を上げる。
「弥八郎と船頭さんが話していると、船尾に来てくれと言われたんだな」
「はい。それで弥八郎さんとわたしが船尾に駆け付けると、舵に大きな負荷が掛かったのか、尻掛けがほつれ始めていました」
「それで、それを緩めるため、舵を出したというんだな」
「へい。そうせざるを得なかったんです」
「分かっている。それで補修している最中に、磯摺が吹っ飛んだんだと——」
磯摺とは、三枚の板から成る舵の羽板の最下部のことだ。
「そうなんです」
孫四郎はその時のことを思い出しているのか、真っ青になっていた。
嘉右衛門が船頭に問う。
「船頭さん、今更なんだが、出戻りはできなかったんだな」
「そりゃ、もっと前であれば引き返すこともできました。でも、ああなっちまうと——」
「あんたを責めているんじゃない。時化ている最中に出戻りしたらどうなったと思う」
「あれだけ荒れていると、背後から追波を受けることになります。そうなれば舵の羽板が吹っ飛ぶのは間違いありません」
——おそらく、そうなるだろうな。
和船の最大の弱点は、舵とそれを支える外艫にある。それゆえ大時化になると、それを守るために「つかし」を行うのだ。
——要は船が重すぎる上、水をかぶりすぎたのと浸水したのとで、舵が利きにくくなったんだ。となると波頭を左右からもろに受けて、さらに状況は悪化する。その結果、負荷が船尾の尻掛けに掛かり、尻掛けが切れ掛かった。それを補修するために舵を出したので、舵が吹っ飛んだということか。
まさに負の連鎖により、安乗丸は遭難したことになる。
「さて、どこから手を付けるか」
嘉右衛門が独りごちると、清九郎が何かを思い出したかのように言った。
「そうだ。弥八郎さんは書付や手控えを取っていた。その中に役に立つものがあるかもしれない」
「それは初耳だな。ぜひ見せてくれ」
早速、二人は弥八郎が使っていた家に向かった。