連れてって下さいよ」海に挑む時ー9

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 空に敷きつめられた雲は重く垂れこめ、今にも雪か雨が降ってきそうに見える。風は強く波も大きい。だがそれは、この季節の佐渡では至って普通の天候なのだ。

 船子たちの顔には緊張が漲っているが、「今日はやめた方がよい」という者はいない。

 —これならいける。

 弥八郎は確信を持っていた。

 小木港には大小取り混ぜて数十の船が停泊しているが、安乗丸は港の主であるかのように、堂々たる姿で港内に鎮座している。

 だがよく見ると、巨大な安乗丸でさえ、うねりに乗って上下動を繰り返していた。

「沖は荒れていそうですね」

 磯平が心配そうに言う。

「ああ、荒吹いてるだろうな」

 弥八郎の着る厚司の裾も翻り始めた。

「ぼん、やはり、わいが行きます」

「もう、わいが乗っていくと決めたんだ。皆にもそう告げてある。ここで船大工が代われば、わいが佐渡の海におじづいたと思われる」

 弥八郎は、今回の初航海だけは自分が乗っていくと決めていた。

「分かりました。もう何も言いません」

 磯平は幾度となく「自分が乗る」と申し出たが、弥八郎は聞かなかった。それでも緊急の修理が発生した際、一人ではできない作業もあるので、甚六を連れていくことにした。

「お待たせしました!」

 遅れていた甚六が追い付いてきた。

「遅いぞ」

「すいません。縫釘や通り釘をそろえていたんです」

 甚六は、己と弥八郎の道具箱を肩に載せている。

「甚六、しっかり頼むぞ」

「おっとっと。おっとっと」

 磯平が肩を叩いたので、甚六が道具箱を落としそうになる。

 そのおどけた動作が可笑しく、二人は大笑いした。

 三人が桟橋で瀬取船を待っていると、見送りに来た七兵衛と清九郎が近づいてきた。

「いよいよだな」

「はい。帰途は新潟から米を運んできます」

「それはいいが、無理せんようにな」

 七兵衛は心配顔である。

てんは載せたな」と清九郎が問う。

「もちろんです」

 安乗丸には、万が一の場合、乗っている者全員が乗り移れる大きさの伝馬船を積載している。これは七兵衛が始めたことで、東回り西回りの廻船にも義務付けられていた。

「孫四郎の姿が見えないようですが、どうかしましたか」

「そういえば今朝は見ていないな」

 清九郎が首をかしげる。

「あいつは朝が弱いからな。寝坊してるんだろう」

 孫四郎は、そのことで幾度となく清九郎に叱られていた。

「いいですよ。すぐに戻ってくるんですから」

「弥八郎、しっかりやれよ」

 七兵衛が真顔になって言う。

「はい。必ずやり遂げます」

 その時、ちょうど船子たちを先に運んだ瀬取船が近づいてきた。瀬取船から投げられたもやいづなを受け取った磯平が、それを船留に巻き付けている。

「七兵衛さん、ありがとうございました」

「なんだ、あらたまって」

「なぜか、お礼が言いたくて」

「お前には、まだまだやらせたいことがある。その度に、いちいち礼などされてはたまらんよ」

「それもそうですね」

「わいは、お前の命を嘉右衛門さんから預かっているも同じだ。くれぐれも気をつけるんだぞ」

「分かっています」

 七兵衛の口から嘉右衛門の名が出たことで、弥八郎は故郷のことを思い出した。

 —みんな、見ていろよ!

 弥八郎の脳裏に、嘉右衛門、梅、ひよりらの顔が次々と浮かぶ。

 それを振り払うようにして弥八郎は言った。

「それでは行ってきます」

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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伊東潤

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