もう、わいらは船を造れないんだな」海に挑む時ー8

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 目を開けると熊一と梅がいた。二人とも座ったままうつらうつらしている。

 —今は昼か夜か。

 嘉右衛門には時間の感覚がなくなっていたが、自宅に寝かされていることだけは分かった。

「おい」

「あっ、おとっつぁん。目が覚めたんだね」

 梅が目をしばたたかせる。

「わいは何日ほど寝ていた」

 熊一が答える。

「ちょうど三日です」

「そうか」と言って半身を起こそうとした時、あばらに激痛が走った。

「いた、いたた!」

「頭、無理しないで下さい。あばらが折れているんですよ」

 確かに腹には、晒しが幾重にも巻かれている。

「すまなかったな」

「もういいんです」

 熊一が背後に回り、嘉右衛門を横たわらせる。

「わいは、どうかしちまったのかな。これまでは頭に来ても、他人様に手を上げたことなどなかった。だがあの時だけは—」

 ここのところ短気になっているという自覚はあったが、まさか主人に手を上げるとは、自分でも思わなかった。

「おとっつぁん、もう終わったことだよ」

 梅が慰めてくれたが、嘉右衛門は事の重大さを今更ながら感じていた。

「あれから棟梁は、何か言ってきたか」

「いいえ、何も」

 熊一が首を左右に振る。

「すぐに詫びを入れに行ったのですが会ってくれないので、仲介の労を取ってもらうべく、先代の弟で丸亀にいるまさつぐさんのところに使いを飛ばしました」

 正次は先代の五左衛門の腹違いの弟で、丸亀で廻船問屋を営んでいる。

「で、正次さんは何と—」

「戻ってきた書簡には、『作事場を売り払うとは知らなかった。野暮用を済ませたら、すぐにそちらに向かう』とのことでした」

「そうか。それなら二、三日後になるな」

「おそらく」

 梅が嘉右衛門を元気付けるように言う。

「正次さんが来れば、丸尾屋の年寄たちも寄合を持ち、作事場を売らないように言ってくれるかもしれないよ」

「そいつは望み薄だな。これまで重正は、年寄たちの言うことを何一つ聞かなかった。それで正次さんも愛想を尽かし、親戚付き合いもしなくなったんだ」

「だからといって—」

 梅が言葉に詰まる。

「みんなはどうしている」

 熊一が俯いたまま答える。

「まず長喜屋に行ったんですが、仕事が減ってきており、新たに大工を雇う余裕はないと—」

「そうか。これまでしたに出て、わいらから仕事を回してもらっていたくせに、いざとなると、つれないものだな」

「あそこも厳しいらしいので、仕方ありません」

「新造船は大坂に取られているんだ。だから重正も、船造りをやめようとしているんだろう」

 重正としては、採算の取れない事業は早めに整理し、もうかる事業に人も財も投入したいのだろう。

「仕掛かっていた船はどうした」

「棟梁は長喜屋にお願いしたようです。わいらの作事場に行ってみると、長喜屋の大工たちが仕事をしていました」

「そんなことになっているのか」

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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男たちの船出

伊東潤

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