年末から年初にかけて行われた三回にわたる小木港外への試し走りは、何の問題もなく終わった。舵の取り回しなど危惧していたこともあったが、とくに問題とはならず、最後の試し走りの日を迎えることになった。
船の名も「安乗丸」と決まった。「安んじて乗れる」ことを祈り、弥八郎が付けた名だ。
新潟までの航海を明日に控えた延宝五年(一六七七)一月十九日、江戸から七兵衛がやってきた。
小木港で出迎えた弥八郎たちに、七兵衛が上機嫌で言った。
「佐渡の海は、ほどよく荒れていたぞ」
一行は早速、宿根木に移動すると、宿根木の浜を占領せんばかりに鎮座する安乗丸と相対した。
「これが千石船か。やはりでかいな」
七兵衛は童子のようにはしゃぎ、安乗丸の船体を撫で回している。
「この船は間違いなく千石の米を積めます」
清九郎が力を込めて言う。
上機嫌の七兵衛が弥八郎に問う。
「試し走りはどうだった」
「とくに難儀することはありませんでした」
「何度、走らせた」
「これまで三度です。明日は、いよいよ佐渡海峡を渡って新潟まで行きます」
「荷を積み込んでだな」
「はい。大事を取って土俵にしますが、米でも心配要りません」
「よし」と言うや、七兵衛が船に乗り込もうとした。
「まさか七兵衛さんも一緒に乗られるんですか」
「よしてくれよ。もうわいは年だ。ここで吉報を待つさ」
七兵衛は六十歳になる。
早速、梯子が掛けられ、七兵衛たちが船に上がった。弥八郎は船内を詳しく説明した。
その夜、七兵衛が泊まっている宿の一室で、ささやかな祝宴が催された。
磯平たちは明日のために徹夜で調整することになり、祝宴には弥八郎と清九郎だけが参加した。
「まあ、一つやれよ」
七兵衛が手ずから二人の盃に酒を注ぐと、二人は恐縮しながらそれを受けた。
「よくぞ、やり遂げてくれた」
「いや、まだ最後の試し走りが残っています。それを終わらせないことには安心できません」
七兵衛が感慨深そうに言う。
「お前さんは成長したな」
「いや、まだまだです」
照れ臭そうにする弥八郎を、清九郎が冷やかす。
「この前、お前さんは『七兵衛さんには、安乗丸も見てもらいたいが、今のわいも見てもらいたい』と言ってたじゃないか」
「それは酒の席での戯れ言ですよ」
三人が笑う。
「いずれにしても明日は、お前の大勝負の日になるな」
「へい。そのつもりです」
「だが、佐渡の海は生半可じゃねえ。何が起こるか分からないぞ」
清九郎がたしなめる。
「分かっています。命に代えても安乗丸を守り抜きます」
「そうじゃない」
七兵衛が音を立てて盃を置いたので、二人は驚いた。
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