四人に続き、鮫島と河合の二人が戦犯部起訴係に入っていくと、当番兵が一つのドアの前まで案内してくれた。その丁重な扱いに感謝しつつ、「失礼します」と言って入室したが、起訴係の責任者の大佐は、机の上に広げた書類に目を落としたまま一言も発しない。しかも目前に二つの椅子があるにもかかわらず、「座れ」とも言わないので、二人は黙って立っていた。
五分ほどそんな状態が続いた後、ようやく大佐が顔を上げた。
「君たちには、『ダートマス・ケース』を担当してもらう」
突然、担当する事件を申し渡されたが、何のことだか分からない。それは河合も同じらしく、不思議そうな顔で首をかしげている。
「どうやら、この事件について何も知らないようだな」
大佐は大儀そうに背後に手を回すと、書類の束を机の上に放り投げた。
「君らの同胞が、捕虜となった六十九人のイギリス人とインド人を殺害した。これは、ほかのケースと違って冤罪の余地はない。二人の男が、その責任を問われることになった」
大佐によると、ほかのケースが中国人らの曖昧な証言によって断罪されるのと違い、このケースは紛れもない殺人事件だというのだ。
鮫島が丁重な態度で問う。
「それは、どのような事件なのですか。二人の男とはいったい──」
「今日と明日でこれを読め。それぞれの役割は明後日、通達する」
大佐が書類の山を前に押す。乗客や乗組員の宣誓供述書や被告二人の陳述書といった調査書類らしい。
「東京から新たな弁護士が来ると聞いている。それゆえ君たちは二人一組で、どちらかの被告を担当する。東京から来る者たちは、もう一方の担当だ」
「分かりました」
「分かったら行け」
大佐が蠅を払うように手を振る。そこには、日本人に対する差別意識が露骨に漂っていた。
大佐の態度に憤然としながらも、鮫島と河合は手分けして書類の束を抱えると、仕事場に向かった。
河合の執務室で向かい合った二人は、「ダートマス・ケース」に関する公判調書(取り調べ記録)と宣誓供述書を読み始めた。英語にさほど堪能でない河合のために、鮫島は声に出して読みながら、逐一、日本語に訳していった。
資料を読み進めるうちに、事件の概要が摑めてきた。
時をさかのぼること、わずか三年半ほど前の昭和十九年(一九四四)二月、日本軍の南西方面艦隊司令部は、インド洋における連合国軍の交通線(通商路)破壊と輸送船の拿捕を目的とするインド洋作戦を発令した。その背景には、インド洋の制海権の獲得と、輸送船不足を補うという二つの目的があった。
この作戦を下命されたのが第十六戦隊司令官の五十嵐俊樹海軍中将だった。第十六戦隊は旗艦の重巡「妙義」を中心に、同じく「飯縄」、軽巡「釧路」と「狩野」、そして駆逐艦二隻(「白波」「風波」)から成る部隊で、ジャワ島のバタビアを本拠としていた。
ところが作戦開始の直前になって、「飯縄」が別部隊に所属を変更されたため、一時的に航空巡洋艦の「久慈」と「高津」が加わることになった。
この二艦は帝国海軍が最後に造った重巡洋艦であり、若い士官たちの間で「船に乗るなら久慈・高津」と言われるほどの憧れの的だった。しかも甲板後部にカタパルトを備え、水上偵察機を六機も搭載しているため、索敵には好都合である。
強化される形になった第十六戦隊は三月三日早朝、ジャワ島とスマトラ島の間のスンダ海峡を南下し、ジャワ島西部の北岸にあるバタビアから五百四十海里(約一千キロメートル)ほど南西にあるココス島を目指した。
この海域では帝国海軍はもとより、イギリス東洋艦隊、オーストラリア海軍、またドイツのUボートまで出没しており、両陣営の通商破壊戦は激化の一途をたどっていた。
翌四日、給油艦を帰らせると、いよいよ重巡三隻による索敵が始まった。「妙義」を中央に、左に「高津」、右に「久慈」といった隊形である。
五日は、ココス島の東、二百七十八キロメートルまで進出し、水上偵察機を使って索敵したが、敵船を見つけられなかった。
実は、イギリス東洋艦隊では日本軍の暗号文を解読しており、インド洋の船舶の航行ルートを西方に大きく移していたのだ。
翌六日から八日にかけては快晴だったが、海が荒れて水上偵察機を発艦できない。これでは、航空巡洋艦の「久慈」と「高津」を配備してもらった甲斐がない。
九日、各艦では焦りが募っていた。燃料の重油が不足しているにもかかわらず、これだけ長い距離を三艦で走り、全く収穫がないからだ。しかも残存燃料は、帰投にぎりぎりの量になっており、この日の午後には作戦を切り上げざるを得なくなっていた。
十一時半、「久慈」では名越五助という若い兵曹が見張りに就いた。かつて名越は視界の悪い中、トラック基地の近海に不時着水した艦載機を発見するという殊勲を挙げており、「久慈」見張員の切り札的存在だった。見張長が最後の数時間を名越に託したのだ。
名越が大望遠鏡に取り付いてから四十五分後、水平線に立ち上る煙のようなものを見つけた。雲よりもやや色が濃いだけなので、常の見張員なら見つけられなかったはずだ。
「右四十三度の方角に煤煙発見!」
艦内に名越の絶叫が響く。距離にして約四十キロメートル西である。
「総員、配置に就け!」
喇叭の甲高い音が響き、「久慈」艦内が一瞬にして色めき立つ。
第二戦速二十二ノットで追撃が始まった。
旗艦「妙義」に報告はしたものの、二艦の距離は六十キロメートル以上も離れており、拿捕は「久慈」一艦で行わねばならない。
第三戦速の二十八ノットに速めると、船影が見えてきた。この時点で、敵船とは二十七キロメートルほどの距離になっている。
名越が伝声管に向かって叫ぶ。
「煙突が見えます。大型商船!」
さらに近づくと、名越から詳細な報告が艦橋に入った。
「一万トンクラスの商船。最新型の貨物船と認む!」
艦長の乾が冷静に命じる。
「軍艦旗を下ろしてアメリカ国旗を掲げよ。艦首の菊の御紋に覆いを掛けよ」
これらは拿捕の手順として、事前に決めていたものだった。実は乾は国際法の専門家でもあり、こうした行為が違法行為にあたらないのを知っていた。
「合戦準備。主砲、高角砲、左砲戦用意!」
この時、乾の脳裏によぎったのは、かつてインド洋で敵タンカーと遭遇し、拿捕しようと無防備に近づいていき、砲撃を食らって沈没した特設巡洋艦のことだった。しかも、たまたま当たった一発が弾薬庫に命中し(貨客船を改造した特設艦なので弾薬庫の防御壁が薄い)、自滅に等しい沈没をしたのだ。それ以来、相手が商船であっても油断しないように近づけという通達が、軍令部から出されていた。
十二時五十四分、「久慈」から最初の発光信号が送られた。
「当方、アメリカ合衆国巡洋艦。貴艦に伝えたい重要な知らせあり。無電を使用せず、信号しやすき距離に接近せよ」
だが敵商船からは何の反応もなく、なおも約十五ノットで北上を続けている。
その時、名越の目に敵の装備が見えてきた。
「艦首および後部に、八ないしは十センチ砲を二門装備しています!」
これを聞いた艦内に緊張が走る。
八ないしは十センチ砲だと敵の最大射程は九千メートルになり、警戒を要する。
続いて乾は停船信号を送ったが、依然としてなしの礫だった。
距離九千メートルまで近づいた時、乾は米国国旗を軍艦旗に戻し、菊の御紋の覆いも取らせた。国際法上、射撃の前には、こうした偽装を取り払わねばならないからだ。
そして十三時十七分、威嚇の砲弾が敵船の進行方向上に放たれた。
それに驚いたのか、敵船はRRR(緊急救難信号)を打ち始めた。それでも停船はしない。
敵船の行動は不可解だった。彼我の速度差から逃げ切ることは不可能であり、「久慈」が本気になれば、砲撃で沈めることもできる。
唯一、逃げ切れるとしたら、友軍の重巡以上の艦船が近くにいるか、スコールの中に身を隠すかぐらいだろう。だが艦船は水平線まで見渡してもおらず、スコールの雲が迫ってきていることもない。
──いったい何を考えているのだ。
敵船長の考えは全く理解に苦しむ。
「拿捕しましょう」
副長の柳川孝太郎中佐の声が乾の耳に届いたが、乾はこれを無視して航海長に尋ねた。
「現在の位置は」
「ココス島の南、二百二十二海里(約四百十キロメートル)です」
「二百海里(約三百七十キロメートル)以内は拿捕、それ以上は撃沈だったな」
「会議では、そういう話も出ましたが──」
柳川が煮え切らない口調で言う。
「ここはココス島から二百海里以上も離れている。曳航は無理だ」
日本軍の制海権下にある安全海域に達するまでには、敵潜水艦や航空機による攻撃があり得る。拿捕した船を曳航していると、本来の速度が出せず、回避行動も緩慢になるので、たいへん危険だった。
「艦長、それは決定事項ではありません」
柳川が言い切る。
乾は、その話が曖昧に終わったことを思い出した。
──どうすべきか。
だが乾は、ある誘惑に駆られていた。
──撃ちたい。
砲術を専門とする者の本能なのか、乾は居ても立ってもいられないぐらい撃ちたくなっていた。
これから遠くない未来、連合艦隊は「大和」と「武蔵」を中心とした主力決戦を行うつもりでいる。その時に、最新鋭重巡の「久慈」は艦隊の先駆けとして、切り込み隊長の役割を担わされる可能性が高い。実戦での砲撃の経験があるとないでは、大きな差が出る。
しかもこの場合、警告や威嚇という手順を踏んでいるので、国際法に照らしても砲撃することに非はない。
──四基八門の主砲から四十発撃てば、最悪でも四発は当たる。この距離なら確実に沈められる。
誘惑が波のように押し寄せる。
「拿捕しましょう。それからのことは、『妙義』の判断を仰げばよいことです」
航海長が進言する。むろん、この発言は艦橋にいる面々に記憶され、場合によっては航海日誌に記録として残る。
──やはり拿捕するか。
拿捕するとなると、敵に従順になってもらわねばならない。だがこの商船の船長は、まともな判断力を持っていない気がする。商船の船長などには「ナイトキャップ」といって、就寝前に酒を飲む者がいる。しかし仮に非番だったとしても、「ナイトキャップ」には、いささか時間が早すぎる。
──砲撃される可能性もある。
一対一で商船に後れを取ることはないはずだが、万が一、撃沈された例の特設巡洋艦のように一発食らいでもしたら、乾の評価はガタ落ちになる。
「拿捕しましょう」
今度は副長の柳川が進言してきたが、乾はそれも無視した。
──俺は艦長なのだ。
これまでのキャリアで、乾は艦橋にいて艦長に何かを進言したことが山ほどあった。だが艦長たちは、その多くを聞き流した。中には後に酒の席で、「乾副長はうるさい。何かあった時、責任を取るのが私なのを忘れるな」と釘を刺されたことさえあった。
その時、敵船が速度を落とし、ほぼ停止した。
「よし、『拿捕される意思あるや』と発光信号を出せ」
すぐに発光信号が出されたが、敵からは何の返答もない。
ほぼ同時に、名越から報告が届いた。
「敵船はカッター(小船)を下ろしているようです」
名越は、敵船が「久慈」の死角になる反対舷(左舷)からカッターを下ろしているのを見逃さなかった。
──どういうことだ。
敵に拿捕される意思がなく、乗客を退避させようとしているということは、「交戦する意思がある」ことを意味する。
「砲撃準備!」
乾の一言で、艦全体に緊張がみなぎる。
──やはり撃つべきだ。
もはや乾に迷いはなかった。だがカッターを下ろす作業を妨げたくなかったので、乾は十五分ほど待ってから命じた。
「撃ち方始め!」
続いて砲術長の号令が聞こえた。
「撃ーっ」
次の瞬間、二十・三センチ主砲と高角砲が火を噴いた。轟音と振動が艦全体を覆う。
「命中!」
すぐに見張員の声がした。最初の斉射で直撃弾を見舞えた。しかし直撃弾は船の横腹に当たっただけで、浸水はごくわずかのようだ。
「艦長、この状態なら敵船は沈没しません。拿捕隊に臨検させましょう」
「曳航が困難でも、船内を捜索し、機密書類や暗号表を押収することはできます」
副長の柳川と航海長が口をそろえる。
「いや、もう手遅れだ。敵船は傾斜している」
そうは言ってみたものの、敵船がさほど傾斜していないのは誰の目にも明らかだった。
「取り舵いっぱい。今度は右舷に撃たせる」
左舷だけでなく右舷の砲手たちにも撃たせようと、乾は思った。むろん先々、どこであるか分からない砲撃戦を想定してのことだ。
「右舷高角砲、煙突下部の水面辺りを狙え」
すでに敵船は傾き始め、反撃できる状態にない。そのため距離を三千メートルまで縮め、敵船の機関部を狙って右舷の高角砲だけに撃たせた。
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