15 クールなスパイでぶっとばせ
空似ではなかった。すれ違いざまにチラ見しただけだが、聞こえてくるはしゃぎ声は羊音以外ない。 下膨れを隠したストレートロング。底意地の悪い微笑。ギリギリ乳輪死守のグラドルから奇跡の成り上がり。そんな女は、この世に黒木羊音以外、存在しない。
羊音はそこそこ人気のあるB級アイドル三人組の一員だった。ソロになって出したレコードが、勢いとまぐれで何度か一位を取っている。ここで留まっていれば、私もこの女を悪しざまに罵ったりはしない。 羊音はいつだって人の三歩先を読むのが得意だった。この女自身には何の才能もないが、次に何が流行るか、ブレイクするか、嗅覚のみが異常に発達していた。誰とつるむと自分までオシャレに見えるか熟知していて、「アイドルだけどセンスがいい」と、世間に認知されるようになるまで、さしたる時間は掛からなかった。
来月には、ドルフィン・ソングの作詞作曲で、羊音がニューシングルをリリースする。殺人事件が起こるのは来年の十月二十七日。私たちドルフィンマニアの間では、黒木羊音の取り合いにより、夢二が恋を刺したという説が濃厚だった。
確固たる証拠はない。夢二は取り調べでひとことも彼女の名を挙げなかった。私にしたって、あんなつまらない女のせいで、結果的にふたりがこの世を去らなければいけなかったなんて、死んでも認めたくなかった。 「三沢夢二が島本田恋を殺した理由は、黒木羊音にあった」と、女性誌をはじめ、どこのマスコミも書かなかった。この時代にネットがあったら、羊音はサイバー空間で何度殺されただろう。しかし彼女は、テレビ局を牛耳っていると言われる、最大手芸能プロダクションの秘蔵っ子だった。
羊音は事件があった後も、何食わぬ顔でテレビに出続けた。アイドルグループの人気に陰りが見えるといち早く脱退し、バラエティー番組で大御所芸人とコントでからみ、女性誌ではクラスで三人ぐらいが知っているセンスの良いブランドを着た。
新進気鋭のデザイナー、国際派俳優兼モデル、カリスマDJらと噂に上る一方、芸能活動は順調そのもの。某ナチュラル系ファッションブランドのCMタレントに、『TV Bros.』の連載をまとめたサブカルコラムはベストセラー。ボサノヴァカバーのブームの火付け役。女子中高生が選ぶ「なりたい女性タレント」ランキングで、十年連続一位により殿堂入り。自民党の大物議員の息子と電撃結婚後もロハスライフを提唱し、羊音がデザインしたミトンが百万個売れた。子供はふたり。上の子はスイスに留学中。 許せない。絶対に。こんなうまくいきっぱなしの人生。
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