村上春樹の読み方『ダンス・ダンス・ダンス』後編

『新しい「古典」を読む』の特別編として、初期村上春樹作品を読み解いてきたシリーズもついに完結。前回、村上春樹作品に多用される「シンクロニシティ」という表現や、本作に描かれた「終わりなき日常」をどう生きるのかという問題より、それが作品の中でどう描かれているかが重要だと論じられました。今回はその作品内部に迫ります。この作品以降、村上春樹はなにを描こうとしてきたのか。そしてなぜ世界中の人たちが村上春樹を支持するのか。その本質に迫る書評です。

「理由のない悪意」から「理由のない殺意」へ


ダンス・ダンス・ダンス 上 (講談社文庫)

 日常の空虚感とその背後にある無名の暴虐性を主題に据えてみれば、本作においてA系列(「ドルフィン・ホテル」「羊男」「キキ」「ユミヨシさん」の関係)はこの物語の支柱でありながら、さして重要性はないことがわかる。B系列(霊能力少女「ユキ」とその家族を含めた人間関係)と、C系列(「キキ」に絡めた五反田君と主人公の交流)こそが重要になる。

 C系列では特に、五反田君に仮託された無名の暴虐性が興味深い。これは『1973年のピンボール』(講談社文庫)で「理由のない悪意」としてジェイによって鼠に語られていた主題に近い。

「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんて何もしていないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得をするわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。わたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれているって言ったっていいかもしれないね」


 「理由のない悪意」は、『ダンス・ダンス・ダンス』で五反田君による「理由のない殺意」に変わり、悪意の主体は薄れたかに見える。しかし、それが実体的に存在していること、しかもそれが動物の気配で存在していることが、五反田君がまだ殺害について主人公に語らない時点の対話で描かれているのは注目に値する。

 そしてそのときふと部屋の中に第三者の存在を感じた。僕としては五反田君の他に誰かがこの部屋の中に存在しているような。僕はその体温や息遣いやかすかな臭いをはっきりと感じることができた。でもそれは人間の気配ではなかった。それはある種の動物が引き起こす空気の乱れのようなものだった。動物、と僕は思った。


 この動物のような存在が何であるかについては、作品のなかでは十分に回収されずに終わる。直接的には羊男ではないだろう。その気配は主人公にとって親密なものとされているし、羊男にそのような変容があることの言及はここまでの物語にもない。この闇に隠れたような獣性の存在は後に『アフターダーク』(講談社文庫)や最新作『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)などに継がれていく。

 「理由のない殺意」は、その現実化である殺害の結果としての「白骨」で示され、この作品の3つに分かれる系列を貫きまとめ上げている。この作品の短編小説的な部分をあたかも白骨が糊付けするようにまとまっているとも言える。作品全体で「白骨」は全部で6体あり、物語の終結前に5体まで対応する死者が明かされる。鼠、キキ、メイ、ディック・ノース、五反田君である。残りの一人は誰か。主人公に繋がっている人物だから、ユキとユミヨシさんが想定され、その危機感が最終部まで読者の関心をひっぱる。

 白骨となる6人目について作品では明瞭には描かれていない。最後に消える羊男かもしれない。だとすればこの物語は、羊男が作り出した世界をすべて死に繋げて、主人公と新しい恋人のユミヨシさんの生という現実を残したことになる。しかし、そこまで読み取ることは難しく、「理由のない殺意」は、ある程度作者の意図としてそのまま残される。

ユキという少女の内的な消失

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