古舘伊知郎という人は、若い世代には「報道ステーションでキャスターを張っていた方」という印象だろうが、古い世代には「マシンガントークで面白いことを喋る人」というイメージだ。
その頃の古舘さんの番組を、ぼくは放送作家として担当していた。ある日、ディレクターに、
「藤井さん、日本史、得意?」
と聞かれた。得意というほどではないが、好きな分野だった。そこで、返事は……、
「得意ですよ、もちろん!」
……まあ、作家なんてそういうものだ。たいていは、「できます」と答えておいてから猛勉強し、急にその分野に詳しくなる。
当時「カセットブック」というメディアがあった。現在のオーディオブックの遠いご先祖みたいなものだ。そこで、「あの古舘伊知郎がマシンガントークで日本史2000年の歴史を90分で喋りおろす!」という企画の原稿を、ぼくが書いたのだ。
できあがったタイトルが『古舘伊知郎のとんわか日本史』
「『とんわか』って何ですか?」
とぼくは聞いた。
「とんでもなくよくわかる、の略です」
無理があるなあ……。サブタイトルに「邪馬台国から地上げ屋まで」とある。そういう時代だったのだ。
今、Amazonで探すと、「中古品70,000円」と出ている。7万円!? ウチにもどこかに一個くらいあったはずだが……。
まさかこの時から、長い長い旅が始まろうとは、思いもしなかった。1987年のことだ。
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その翌年、「とんわか日本史」を元に作られたのが「古舘伊知郎トーキングブルース」というステージだ。タイトルが「日本史IKKI進化論」。一気!一気!……のとんねるず的ネーミングだ。時代を感じさせる。1988年だ。
場所は原宿クエストホールだった。ステージには、ぼくはノータッチ。いわば原作とか原案といった立場だ。古館さんは、ぼくの長い台本を丸々憶え、さらに独自な言葉遊びやアドリブを加えて、もの凄い量のマシンガントークで喋り続けた。ぼくは客席で見ていて、圧倒された。
このステージは、以来毎年テーマを変え、15年間に渡って開催され、古舘伊知郎の名を高めることになった。
さらにその翌年が1989年。そう、この年の一週間で昭和が終わり、平成が始まる。
そこで、トーキングブルース第二弾のタイトルは「ストレス狂時代・昭和」。昭和が終わった年なので、当然こうなる。
今度は書き下ろしで、昭和時代に絞って原稿を書いた。前年のステージを見ているので、ぼくは、
「こりゃ、たっぷり書かなきゃいけないぞ」
と思った。
ぼくは本でもドラマ脚本でも、すべての原稿をあえてやや長く書く方針をとっている。長く作ったものをカットした方が、引き締まった完成品になるからだ。ステージの想定は2時間強。なので、目算では3時間分くらいの原稿を書いた。
当時、原稿は手書きだった。ぼくはペラ(200字詰原稿用紙)で書いていたのだが、書いた原稿を大型クリップで留めることができず、結局二分冊になってしまったのを覚えている。
「長かったらカットしてください」
と原稿を渡した。しばらくして、古舘さんから連絡があった。
「藤井さんの原稿に自分のアドリブを加えてやると、4時間になってしまった」
そりゃ、いくらなんでも長すぎる!
結果的に2時間半くらいのステージに収まったのではなかったか?
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せっかく原稿があるんだから…と単行本にまとめることになった。タイトルは「超日本史」。この頃ぼくはよく、しりあがり寿さんと仕事をしていたので、表紙カバーのイラストと、それに加え本文中に何ページも漫画みたいなイラストを描いてもらった。いま思うと、贅沢なことだ。
これが1995年。帯に「戦後50年記念本」と書かれている。そういうブームにのっかったのだ。
そうか。平成史において、1995年(平成7年)は「阪神・淡路大震災」「地下鉄サリン事件」「ウインドウズ95」というエポックで語られることが多い年だが、「超日本史」もこの年だったのか!
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翌1996年。それが文庫判「超日本史」になった。今回も、イラストはしりあがり寿さん。表紙カバーのイラストは、単行本の時は〈聖徳太子〉だったが、文庫判では〈聖徳太子と戦国武将が「よっ」「どうも」と声を掛けあう形〉になった。この文庫判がじゃんじゃん売れた!…という話は、残念ながら聞かなかった。
でも、周囲で評判はよかった。なぜかというと、元々語り用に書かれたものだから、歴史の流れがわかるようになっていたからだ。「***年に何があった」というような数字は、なるべく省いた。ぼくは元々、
「歴史ってのは暗記科目じゃない」
と思っている。事件や出来事は、「だいたいの順番を知っていればいい」という考え。
声優の永井一郎さん(サザエさんの波平お父さんや、ガンダムのナレーションで有名)にこの本を差し上げたら、
「学生時代こんな本があれば、私も歴史嫌いにならなかったでしょう」
と丁寧なお返事をいただいた。断っておくが、永井さんは京都大学出身のインテリだ。なのにやはり「歴史は暗記モノ」と思って、嫌っていたのだった。
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それから7年がたったある日、たまたま本屋さんでこの本を見かけた。
「へえ、まだ売ってるんだ」
嬉しくなって手に取り、何気なく奥付を見ると「2刷」と書かれているではないか!
ぼくはビックリした。まず、絶版になっていなかったことに驚いた。そして、7年もたって増刷するということにも驚いた。さらに、ぼくに連絡がないのにも驚いた。
(ちゃんと印税もらえるんだろうな?)
ときわめて金銭的な思惑で、担当者に電話してみた(恥ずかしい…)。
「そうなんですよ。『こんな本があるんですけど』と書店さんに提示してみたら、とても評判がよく、あっという間に売れたんです。そこで増刷することになりました」
と電話の向こうは言った。
なんでも、一時的にぼくの連絡先が不明になり、連絡しそびれていたのだという。まあぼくだって、「増刷はやめてください」と言うわけはないから、それはかまわないのだけど……と話していると、電話の向こうで、
「あ、藤井さん、ちょっと待ってください」
と担当者は言う。どうやらパソコンをいじりながら、何かを見ているようだ。
「……ああ、来月に、また増刷することになってます」
「なんですって!?」
かくして、7年の歳月を経て突然売れ始めた、という珍しい本なのだ。
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そして2018年。平成が終わることになったので、
「平成の分を加えて、新書版にしましょう」
ということになった。なんと平成の30年間を経て、またもや新しい一冊になる。当然この間に色々と歴史的事実の更新が行われている。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのみこ)になり、鎌倉幕府は「いいくに作ろう」ではなくなった。そこらへんの修正も行わなければならないのだ(あ、これは歴史修正主義ではありませんよ)。
ところが、なにせ元は昭和の終わりに書いた「手書き原稿」なのだ。デジタルのテキストデータがない! なので、新たにOCRで読み取ってデジタル化した。いやあ、技術の進化ってのは凄いものだ。
今回も、しりあがり寿さんに連絡してイラストを描いてもらった。今や大巨匠になっているのだが、昔からのよしみで快く引き受けてくれた。新書版(平成増補版)の表紙カバーは〈卑弥呼〉になっている。
かくして、昭和の終わりからはじまった長い長い旅が、あらたな章を加えて一冊になったのだ。なかなか数奇な運命を持った本ではないか?
これから、各章のウラ話など交えながら、順次ご紹介していこうと思う。
さあ、始まり、始まり!