じつは、ヒトは生きているときから物体だと見れば物体であって、死体もまったくそれと同じものです。何にも変わりがありません。死ぬ前と死んだ後で体重は一切変化いたしません。これはかつてアメリカでそういう実験をやった人がいます。死にそうな状態の患者さんに頼み込んで、自分がつくった特別なベッドに乗ってもらった。これは精密に体重が計れるようになっていまして、医者がご臨終ですと言って心臓が止まったときに目盛りが動くかどうかじっと見てて、全然動かなかったと報告しています。そういう意味では、ヒトは始めから物体であって、生きているうちも物体ですが死んでからも物体である。物体性を持つといったほうがいいと思いますが、そう見ることができます。
人工物は用途によって名前が変わっていく
今の少数意見の表現は、ヒトは死んだらモノ、ではそれをひっくり返せばどうなるか。生きていればヒト、そういうことです。しかし唯物論で言えば、生きていてもモノだが、死んでもモノだということです。ここに水を入れるものがあります。しかしここに穴がありますから花瓶にもなります。例えば私がこれで女房を殴って殺したということになると凶器ということになる。同じものであるにもかかわらず名前が変わる。皆さんは今、椅子に腰掛けていますが、その椅子が不自由だからといって机の上に腰をかけるとすると、机が椅子になる。
つまり人工物は使われる目的によって名前を変えていいということがわかります。ところが皆さん方の名前は赤ん坊のときから六〇、七〇になっても名前は変わらない。私は自分のお宮参りのときの写真を持っています。私という赤ん坊が、いろんなものを着て、暖ったかそうな恰好で、ニコニコだかワアワアだか知りませんけど、とにかく適当な顔をして写ってます。それを見るとどうしても自分とは思えない。これは何か自分とは違うものです。私の同級生にヤマサ醤油の家の跡取りがいました。代々喜(き)左(ざ)衛門(えもん)を名乗るようになっている。ある年にその同級生の名簿の名前が突然変わったのでびっくりしました。これは歌舞伎界なんかでもそうですが、いわゆる襲名(しゅうめい)です。社会的に決まったある種の役割につくと名前が変わる。これは社会の中で起こっていることであり、つまり人工のものに対しては状況によって名前が変わるということです。
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