128年前の「地震数え歌」に阪神・淡路大震災

国民の半数が被災者になる可能性がある南海トラフ大地震。それは「来るかもしれない」のではなくて、「必ず来る」。関東大震災の火災、阪神・淡路大震災の家屋倒壊、東日本大震災の津波。その三つを同時に経験する可能性がある。首都圏を襲う大地震も懸念される。
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「稲むらの火」で命救った浜口梧陵

 地震防災の歴史には、「生き神様」と呼べる人たちが登場します。「稲むらの火」の逸話で知られる浜口梧陵(「稲むらの火」の物語上の名は「五兵衛」)もその一人です。下総の銚子で家業の醤油醸造に携わり、浜口儀兵衛商店(現在のヤマサ醤油)を継ぎました。
 1854年、安政南海地震が発生し、高知や和歌山などが強い揺れと津波に見舞われました。このとき、紀州広村(現・和歌山県広川町)に帰っていた浜口は、田にあった稲わらに火を付け、暗闇の中で逃げ遅れていた村人たちを避難させました。
 震災後は将来の津波対策と村人たちの失業対策のため、私財を投げ打ち堤防の建設に着手。海側には潮風に強いマツの木を、反対側にはハゼの木を植え、高さ5メートル、根幅20メートル、長さ600メートルの堤防を完成させました。
 この堤防のおかげで、昭和の東南海地震や南海地震による津波被害を免れることができました。堤防は「広村堤防」と呼ばれ、現在は国の史跡に指定されています。昭和三陸地震津波が東北地方を襲った1933年には、浜口らの活躍をたたえ、広村堤防に感恩碑が建てられました。
 浜口のエピソードは、明治期に作家として活躍した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が1896年に「A Living God」という物語にして紹介しました。この年は6月に明治三陸地震津波が東北地方を襲い、2万人を超える津波犠牲者を出した年です。そのこともあってか、物語の中での地震の様子は安政南海地震と明治三陸地震が入り混じったものになっています。
 昭和になって、広村に隣接する湯浅町出身の小学校教員、中井常蔵が「A Living God」を児童向けに翻訳、再構成しました。これが国語教科書の教材公募で採択され、「稲むらの火」として尋常小学校5年生の国語の教科書に掲載されました。教材は戦後の1947年まで使われ、津波防災教育に大きな役割を果たしました。これには後に紹介する今村明恒の後押しもあったようです。
 その後はあまり活用されていませんでしたが、津波被害が甚大だった2004年のスマトラ島沖地震の翌年、神戸で開かれた国連防災世界会議で「稲むらの火」が紹介され、国内外で注目されるようになりました。2011年には東日本大震災と時を合わせるかのように、小学校5年生の教科書の一つに浜口の伝記「百年後のふるさとを守る」が掲載されています。
「稲むらの火」の物語の主人公は年寄りですが、地震当時の浜口は34歳でした。家も高台ではなくまちなかにあり、物語と史実で異なる部分が少なくないようです。浜口は後に和歌山県の副知事や初代県会議長、駅逓頭(郵政大臣)も務めるなど、さまざまな面で大きな貢献をしました。
 安政南海地震の発生した旧暦の11月5日(新暦では12月24日)は、浜口が村人を救ったことにちなんで「津波防災の日」に定められています。広村堤防の近くには2007年に「稲むらの火の館」が建設され、津波防災教育の拠点に。感恩碑の前などでは毎年11月5日に「津浪祭」が行われ、地元の小中学生らが土を持ち寄って堤防の土盛りをしているそうです。祭りを通して津波防災教育が継続することの大切さを感じます。

濃尾地震の被害表す「数え歌」

 災害被害の伝承ということでは、濃尾地震の「数え歌」が特筆できます。
 1891年、岐阜県の根尾谷断層帯を震源に発生した濃尾地震。M8・0の規模は、日本で観測された過去最大の内陸地震です。死者7273人。当時の日本の人口は4000万人程度と現在の3分の1程度ですから、人口当たりの犠牲者の数は東日本大震災と同等です。美濃(岐阜)と尾張(愛知)の被害が大きかったことから「身の(美濃)終わり(尾張)」地震とも言われました。
 この地震をもとにした「地震数え歌」が岐阜県大垣市に残っています。

 一つとせ、人々驚く大地震 美濃や尾張の哀れさは 即死と負傷人 数知れず。
 二つとせ、夫婦も親子もあらばこそ あれと言うまいぶきぶきと 一度に我が家が皆倒れ。
 三つとせ、見ても怖ろし土けむり 泣くのも哀れな人々が 助けておくれと呼び立てる。
 四つとせ、よいよに逃げ出す間もあらず 残りし親子を助けんと もどりて死ぬとは つゆ知らず。
 五つとせ、いかい柱に押さえられ 命の危ぶきその人は やぶりて連れ出す人もある。
 六つとせ、向ふから火事じゃと騒ぎ出す こなたで親子やつれあいや 倒れし我が家に ふせこまれ。
 七つとせ、何といたして助けよと 慌てるその間に我が家まで どっと火の手が燃え上がる。
 八つとせ、焼けたに思えどよりつけず 目にみて親子やつれあいや 焼け死ぬその身の悲しさや。
 九つとせ、ここやかしこで炊き出しを いたして難儀な人々を 神より食事を与えられ。
 十とせ、所どころへ病院が 出ばりて療治は無料なり 哀れな負傷人助け出す。

 歌詞の中身を読むと、阪神・淡路大震災などで経験した被害や災害後の対応とほとんど一緒だと思えないでしょうか。
 濃尾地震の被災地には、犠牲者を慰霊するため震災2年後に建てられた震災紀念堂(岐阜市若宮町)や、断層のずれを直接見ることができる根尾谷の地震断層観察館・体験館(本巣市)が建てられています。
 震災紀念堂では今でも毎月の月命日に供養がされているそうです。また、被害が甚大だった愛知県津島市の津島街道沿いの古い町並みは、多くの建物が震災直後の1892年に建てられたまま残っています。
 初心を忘れぬように、何度も訪れてみたい地域です。

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福和伸夫

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DADA21C 128年前の地震、今も毎月供養 福和伸夫 https://t.co/dnQKbWEwnZ 4ヶ月前 replyretweetfavorite

ys_ys |福和伸夫|次の震災について本当のことを話してみよう。 今とまったく同じでゾクッときた。 https://t.co/Q2B952RRI0 4ヶ月前 replyretweetfavorite