漣野の炎上で立場が悪くなった冷血編集者・芹澤が抱える暗い過去

【第22回】
漣野がおこした電書テロで、告発された芹澤の立場も悪くなった。そんな時、思い出されるのは学生時代からの友人で、その才能を買っていながら商売にならないために切り捨てざるをえなかった作家・山脇の存在だった。冷血編集者がいかにして生まれたのか、いま明らかになる!

文学少女が編集者として一人立ちしていく姿を追いながら変貌する出版界の明日を占うお仕事小説。

◆書けない男—冷血編集者・芹澤の挫折


 仕事が終わり、机の上を整理し始めた。鉛筆、消しゴム、赤ペン。散らばった数々の道具を、あるべき場所に戻す。

 芹澤(せりざわ)は、物事が整然と並んでいるのを見るのが好きだ。幼少の頃には、積み木をきれいに正方形に並べていた。そうした性向は今でも続いており、本棚の本をいかに見栄えよく並べるかに、休日の一日を当てることがよくある。

 ちらりと壁際を見た。三年前に入社した若手が、段ボール番として今日の丸とバツの本を整理している。その若手に声をかけ、文芸編集部の部屋を出た。

 エレベーターで一階に下り、建物を出る。冷たい風が吹きつけ、眼鏡の奥の目を細めた。
 最近、なにもかもが上手くいっていない。そう感じる主たる要因は、例の炎上騒ぎだ。

 これまで芹澤が積み上げてきたキャリア。その実績を背景にした社内への神通力。仕事をする上で梃子となる力が失われている。会う人間たちが、いずれもよそよそしくなり、距離を取ろうとしていた。

 芹澤は顔を歪める。こうした苦い思いは、いつ以来のことだろうか。

 最も大きな苦痛を感じたのは、友人を切り捨てた時だった。大学時代のサークルの同期。山脇達彦(やまわきたつひこ)という男。芹澤は、記憶の隅にいつもいる男のことを思い出しながら、駅への道をたどった。


 大学の文芸部の部室は、学内の片隅に建つプレハブ小屋の中にあった。壁には木製の棚があり、過去に発行した部誌が収めてある。部誌の名前は一滴。正岡子規の墨汁一滴から取った名前だと聞いている。

 印刷して製本したものだけでなく、原稿もあるのだが、半分以上が散逸してしまっている。プロになったOBたちの原稿が、こっそりと持ち去られることが多かった。それだけの人材を、芹澤が所属していた文芸部は、世に輩出していた。

「芹澤、原稿を持って来たぞ」

 同期の山脇が入ってきた。芹澤は木製のテーブルに向かい、集まった部誌の原稿を確認している。

「遅すぎだ。うちの一滴は、原稿提出順に掲載というルールは忘れていないよな。おまえはラストだ」

「へいへい、部長さんの仰せのままに」

 山脇は、チラシの裏に書いた手書きの原稿を、芹澤の前に置いた。芹澤は片眉を上げて、非難の視線を山脇に向ける。

「もう少しちゃんとした状態で渡せないのか」

「だってよう、俺はおまえと違って、ワープロなんか持っていないからさ」

「出版社に送る原稿は、どうしているんだ。原稿用紙にでも書いているのか」

「いや。彼女にワープロを借りて、しこしこと打っている」

「一滴も、自分で打て」

「俺がやるより、おまえがやる方が早いだろう。ついでに、誤字脱字も直しといてくれよ。うちではさあ、芹澤が、一番そういうの得意だしさ。俺は書く人、おまえは直す人。そういう役割分担でよろしく」

 山脇は、いたずら小僧のような笑みを浮かべたあと、ひらひらと手を振って、部屋から出て行った。

 一人残された芹澤は、憮然としながらチラシの裏に書かれた原稿を読む。最初の一行を読んで引き込まれた。次の行を読んだ時には情景が浮かんでいた。気づくと文字の上で旅をしていた。見たこともない世界にのめり込んでいた。

 了の文字を見て、芹澤は我に返る。山脇の文章は、彼自身のように奔放だった。文章としての完成度は決して高くない。しかし躍動感があった。生きた言葉が、そこにはあった。

 芹澤は、机に置いていた部誌の原稿を手に取る。先頭にある自分の書いたものを読み直す。正しい言葉。堅牢な構成。だが、それだけだった。死体のような文字が続いている。心を羽ばたかせるものは、なにもなかった。異なる世界の扉を開く鍵は、隠されていなかった。

 大学に入学して三年目。同期の山脇は、既にデビューしており、自分は最終候補にすらなれない。

 幼少期、地主の家に生まれた芹澤には、潤沢な金があった。その金で無数の本を買い漁り、文学の基礎を学んだ。

 自分は書ける側の人間だと思っていた。しかし、書けない側の人間だった。現実は残酷にも事実を突きつけてくる。おまえの文章には価値がないと言ってくる。

 なによりも悔しいのは、他人の原稿を批評する目を持っていることだった。書く力は養われなかったが、読む力は育っていた。

 同期で入部した山脇の小説を読んだ時、彼は世に出る男だと一目で分かった。そして、自分の記した文字の山を見て、涙が出そうになった。部員たちは、互いによく書けていると褒め合ったが、才の輝きの有無は、芹澤の目には瞭然としていた。

 芹澤は立ち上がり、本棚に向かう。壁の一角には、文芸部のOBたちが出版した本が並んでいる。そこに山脇の本がある。自分の本が並ぶことはないだろう。

 嫉妬すら抱かなかった。自分の才のなさを自覚していた。せめて、この世界に関わる仕事をしたいと願った。読む力はあるのだからと、自らを慰めた。


「なあ、芹澤。おまえ、最近書いていないのかよ」

 大学四年も半ばになった頃、部室で山脇が尋ねてきた。芹澤は、図書館で借りてきた本を読んでいた。山脇は、編集者に渡されたという小説を、ぺらぺらとめくっていた。他に誰もいなかった。そうしたタイミングを見計らい、声をかけてきたのだと分かった。

「ああ。俺は編集者になる。出版社への就職も決めたしな」

「ふーん。まあ、安定職でいいよな。作家なんて仕事は、いつ無職になるか分からないわけだしな」

 山脇の言葉に、芹澤は顔を上げる。

「おまえ、就職活動はしていないのか」

「しているように見えるか、俺が」

「いや、まあ、向いていないだろうなとは思うよ」

「だろう。人間、無理はしないに限るからな」

 呆れながら本に視線を戻す。

「まあ、世の中、死ななきゃどうにかなる。駄目なら駄目で、なんとかなるだろう」

「楽観的だな」

「いや、悲観的なんだよ。才が枯れる前に書き尽くしたい。だから、書くこと以外に時間を使いたくない。あとのことなんか知るかよ」

 山脇の声は、真剣だった。芹澤は、再び顔を上げて、山脇の姿を見た。

 —才が枯れる前に書き尽くしたい。

 自分にそれほどまでして、書きたいなにかがあるだろか。
 芹澤の胸に、一つの答えが下りてきた。

 自分は真似がしたかっただけなのだ。文学史に連なる作家たちの、模倣がしたかっただけなのだ。

 山脇の文章が生きていて、自分の文章が死んでいる理由が、ようやく理解できた。その違いは巧拙ではなかった。書きたいことが、あるのかないのかだと知った。

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#電書ハック

柳井政和

小説が好きで出版社に就職した春日枝折だったが、配属されたのは電子書籍編集部。 紙の本から戦力外通告を受けた老作家、ネット民には刺さる準引きこもり作家、紙の本には目もくれないデジタル電子書店員たちとの出会いに戸惑う枝折。 やがて作家たち...もっと読む

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コメント

34colorchoice79 芹澤さん。。。芹澤さん。。。あなたの苦しみ痛いほどわかる気がする。。 5ヶ月前 replyretweetfavorite