セザンヌの静物画から滴った色が溜まって実るマルメロ
「お中元です」
箱を持った来客があった。違和感があった。十二月だったことと、目がわたしを全く見ていなかったから。
「隣りの賽原(さいはら)です。主人は今ペルシャにいて」
「お仕事ですか?」
「まあそんなとこです」
雪の予報が出るほど底冷えがするのに、綿の半袖で素足にサンダル。
「ありがとうございます」
こう言って頭を下げれば、帰ってくれるだろう。顔を上げると、奥さんと初めて目が合った。
箱を開けたとたん悲鳴を上げた。仔猫だと思って。
けれどそれは、マルメロだった。
皮に綿毛のような毛がもあもああってクリーム色の、やわらかな丸い塊。実家で飼っていたまろんは、仔猫のころ丸まるとこんな感じだった。しばらくまろんの思い出に浸った。
翌朝、箱を開けて悲鳴を上げた。仔猫だった。マルメロにそっくりの。仔猫はわたしを見上げた。
その日の午後、速達で分厚い封筒が来た。隣の奥さんからだった。消印は昨日だ。昨日ここに来る前か後に、わざわざ郵便局に行ったのか……。
中は一冊の本だった。著者は賽原桃李、お隣のご主人の名だ。タイトルは、『夏の国の猫』。
本はこう始まる。
「黄河文明の後の夏(か)の国の王妃が、一匹の猫を飼っていた。ミイラにしてから埋葬するほど、王妃はその猫を愛していた。猫の名は丸愛露だった」
「日本には八世紀頃、中国から、寺の経蔵の経典をネズミの害から守るため、船に一緒に乗せられてきたのが初めての猫だという説がありますが、私は異論を持っております」
「初めての猫は、夏の国の王妃が埋めた丸愛露なのです。そこから生えた樹になった実の種が倭国に渡り、植えられ、そうして、ある時は丸愛露という猫になりある時はマルメロという実になる、そのような現象が実るようになったのです」
「その樹は、今も日本に一本、対馬に現存しています」
本を閉じ、テーブルの上の箱を見る。
今度開けたら、丸愛露とマルメロ、どちらが出るだろうか。
それぞれが誰かの一つの夏としてマルメロは光を孕んで生る
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