毎月ジョブズに小切手を切ってもらっている⁉
「ご存じのように、我々は11月完成をめざして長編映画を制作中です。そのほかに、レンダーマンソフトウェアの販売とコマーシャルの制作も行っています。ですが、事業計画といったものはなく、会社をどう発展させていけばいいのかわかっていません。そのあたりを手伝っていただければと思っています」
「資金はどうしているのですか?」
エドによると、毎月なんとかかんとかしのいでいる状態らしい。映画の制作費用はディズニーからもらっているし、レンダーマンとアニメーションコマーシャルも多少の収入にはなっている。だが、ピクサーの費用をまかなうには少なすぎる。
「不足分はどう埋め合わせているのでしょう」
「スティーブです。毎月、スティーブのところへ行き、いくら不足なのかを言うと、小切手を切ってくれるのです」
これには驚いた。スティーブがピクサーを支えているのはわかっていたが、まさか、毎月、個人小切手で資金を供給しているとは思わなかったのだ。
投資家は、普通、6カ月分か1年分、場合によってはもっとたくさんのお金をまとめて提供する。毎月お金をもらいに行くのは極めて珍しいし、そんなことが楽しいはずもない。キャッシュが不足しがちな会社に投資している人の顔を思いだしてみればすぐにわかる。
エドは座ったまま身じろぎをすると
「そういう話をスティーブとするのは、おもしろいとは言いがたいですね」
と付けくわえた。
「おもしろいとは言いがたい」とはまた控えめにもほどがある言い方だ。ピクサーの支出をスティーブに認めさせるのは拷問に匹敵するほどつらい作業だという。やりたくないというエドの思いが感じられた。
波乱万丈なピクサーの過去
「なぜそんなに大変なのですか?」
「ピクサーがルーカスフィルムからスピンアウトされたとき、スティーブは、ハードウェア会社を買ったつもりだったのです。あのころ我々は、ハイエンドの画像処理コンピューターを開発していました。アニメーションは、その技術を見てもらうためのものにすぎなかったのです。でも、ハードウェア部門は1991年に閉鎖となりました」
ピクサーの歴史をかいま見たのはこのときが初めてだった。スティーブとの話は、過去より未来が中心だったからだ。
「ストーリーを語る会社など、スティーブは欲しくなかったんですよ。だから、ずっとあらがっています。そんな彼からストーリーやアニメーションにお金を出してもらうのですから、ちょっとやそっとではどうにもなりません」
スティーブが当初思い描いていたビジョンといまのピクサーがここまで違うとは知らなかった。
ピクサーの歩みは思っていた以上に波瀾万丈らしい。
「つまり、みなさんがしていることに彼は反対している、と」
「いえ、いまは支持してくれています。長編映画制作の交渉をディズニーとしたときも力を尽くしてくれました。彼がいなければあの交渉はまとめられなかったでしょう。でも、それ以外の人も支えなければならないことにいらだっているのです」
「いままでの投資額はどのくらいに?」
「5000万ドル近いですね」
5000万とは。シリコンバレーのスタートアップにとってそれはすさまじい数字だ。それだけ出していて、もっとくれと言われたらいらつくのも当然だろう。
ピクサーの財務状況がここまで悪いとは・・・
エドと話をするのは楽しかった。最初だからと遠慮されなかったのも好感が持てた。いずれにせよ、千載一遇のチャンスだと思えるような話ではなかったわけだが。
ピクサーという会社はあちこちさまようばかりで、進むべき道さえ見えていない。
なにが悲しくて、16年も苦労ばかりで、毎月オーナーに個人小切手を切ってもらわなければ給料も払えないような会社に入らなければならないのか。そこの最高財務責任者になれば、毎月お金をもらいに行くのは私になるのだ。そんな仕事、楽しいはずがないだろう。
エドは思いやりもあるし、頭もいい。話もしやすい。しかも、コンピューターグラフィックスの世界でスター級の人物である。そんな彼からは多くのことが学べるはずだし、楽しく仕事ができる相手であることもまちがいない。
でも、それだけで決断はできない。ピクサーの財務状況がここまで悪いとは思っていなかった。
キャッシュはない。引当金もない。資金は、短気なことにかけては右に出る者がいないとまで言われる人物の気分次第。
この時点では、まだ正式な提案はもらっていないわけで、転職すべきかどうかの決断を迫られているわけでもなんでもない。それでも、そういう申し出をもらったとして、承諾する気になるとはどんどん思えなくなっていた。
ストーリーやコンテンツへの方向転換を受け入れはしたのかもしれないが、スティーブ自身がそうしたわけではないこともわかってきた。彼がネクスト社で新しいコンピューターを開発しようとして失敗したのはマスコミにもよく取りあげられた話で私も知っていたが、ピクサーの当初ビジョンがこけたことは知らなかった。
つまり、アップルから追放されたあと、彼はコンピューターを作ろうと果敢に攻めたが、どちらもうまく行かなかったわけだ。
2ストライクまで追いこまれていると言えるのではないだろうか。もうあとストライクひとつで退場になるかもしれない。
そう思ったところで、エドの秘書から声がかかった。
「試写室の準備が整いました」
「じゃあ、行きましょうか。いま、なにをしているのか、お見せしましょう」
第2章 事業にならないけれど魔法のような才能
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