表現とセクシュアリティーズ

女装とトランスジェンダーを隔てる“透明な壁”

学習院大学でおこなわれた、『弟の夫』の田亀源五郎さんと『BL進化論』シリーズの溝口彰子さんとの対談、第3回。今回は、田亀先生のSM実践やセクシャル・ファンタジー、そして性の目覚めについてぐいぐい深掘り。そして話題はなぜかドラァグ・クイーンとトランスジェンダーの境界に移り、この対談の裏テーマとなった「体毛」へと静かに向かっていきます……。


左から、溝口彰子さん、田亀源五郎さん、エスムラルダさん。

SMは実践よりファンタジー?

溝口彰子(以下、溝口) ひとつ質問いいですか? 田亀先生の「SM好き」というのは、セクシャル・ファンタジーとしてなのでしょうか、それとも、現実の行動ともリンクしているのでしょうか。
というのも、BL(ボーイズラブ)を描く人・好きな人のほとんどは女性であり、BLにおいて表象される当事者である男性ではありません。キャタクターたちには、自分たちが実際にはできない行為をさせているわけです。つまり、みんな脳みそのなかのセクシャリティをファンタジーとして追求しているんですよね。
一方、田亀先生が描かれているSMプレイの中にも、実際にやったら死んでしまうようなこともありますよね。なので、田亀先生にとってのSMとは、女性にとってのBLのように、脳みそのなかのセクシャリティなのか、それとも、現実ともリンクする部分もあるのかを、詳しくお聞きしたいです。

田亀源五郎(以下、田亀) 私の場合は、リンクしていましたね。自分で実践しつつ、マンガも描きつつと。ただ、SMって際限なく突き詰めていくと、今おっしゃったみたいに死んじゃうとか逮捕されちゃうとか、社会から消えてしまうみたいなところまで行ってしまう。さすがにそこまでは行けないよね、というところは常にありました。 で、ある時期に「こうやって実践していても、ファンタジーの強さにはかなわないわ」と感じてしまったので、今は実践にもそんなに前向きではなくなりましたね。

エスムラルダ(以下、エスム) なるほど。

田亀 たとえば、私はレディース・コミック、いわゆるレディコミでも仕事したことがあるんですけど、レディコミにおけるセックスの導入って、だいたい“無理矢理レイプ”なんですね。これもやっぱり、みんな現実に強姦されるのはまっぴらごめんだけれども、フィクションのなかで、ファンタジーとしての強姦を楽しむというのは全然ありだと思っているということですよね。 私も、自身のSMの欲望を突き詰めていくと、最終的に現実には不可能なところに行き着くけど、マンガなら楽しめる。そういうところに落ち着きましたね。

エスム たしかに、「想像のほうがどこまでも飛べる」というのもありますよね。

性の目覚めはフランスの古典SM小説

田亀 私、性に目覚めたきっかけが、マルキ・ド・サドやギョーム・アポリネールなんかが描いた、フランスの古典的なSM小説なんです。今あらためて読んでも、ものすごい内容なんですよ。この前久々に、アポリネールの『1万1千本の鞭』(※1)という有名な古典官能文学を読み直したんですけど、やっぱりすごい。 でもあるとき、フランスに行って受けたインタビューで、「あなたのマンガはどうしてそんなに暴力的なんだ」とか、「ゲイSMを描いた雑誌はなぜあんなに暴力的なんだ」とか言われちゃって。そっちこそ、『1万1千本の鞭』なんて、「私も描いたことないよこんなひどいお話!」っていうくらい、バイオレンスとホモセクシャルとエログロ満載じゃないか!と思いました(笑)。
※1『1万1千本の鞭』:20世紀初頭に活躍した詩人アポリネールによる小説。ルーマニア出身の裕福な青年が、憧れのパリにて同性愛にSM、スカトロに淫蕩の果ての殺人まで、快楽の限りを尽くしていく小説。1907年に発表するもただちにフランスで発禁となり、1970年まで禁書扱いであった。

エスム (笑)。しかも、文字だけで表現しているのがまたすごいですよね。

田亀 そうそう。だから、ひょっとしたら私はこのあたりの文学をスタートにしちゃってるから、表現にそんなにストッパーがないのかな?って思いますね。

溝口 じゃあ、自主規制的なことはまったくないのでしょうか?

田亀 媒体によりますよね。たとえばさっき話したレディコミ誌だと、レイプばっかりではつまらないから、あるとき編集長の女性に、「逆にセックスが好きで、まわりじゅうの男を食ってのし上がっていく女の話はどう?」ってプレゼンしたら、即座に「ダメです」と。
なぜかというと、「うちの雑誌の読者さんは、セックスに入るまでに言い訳が必要なんです。だから、“無理矢理やられちゃった”というエクスキューズがないと。自分からすすんでセックスしましょう、というファンタジーには乗れないんです」と言われました。なるほどと思ったんだけど。

エスム たしかに……!

田亀 ゲイ雑誌だと、「Badi」はわりと懐が深いですよね。今でこそドラァグ・クイーンはばんばんメディアに出てますけど、「Badi」創刊当時のゲイ雑誌なんて、ドラァグが誌面に出るなんてとんでもないという時代だった。その中で「Badi」は、ドラァグをフィーチャーしたり、編集部員が顔出しを積極的にやったりしていた寛容なメディアなので、「ここではなんでもやってOK」という風潮だったからこそ、『銀の華』(※2)みたいなものも描けたんです。
※『銀の華』:明治時代の江戸が舞台。株の暴落によって全財産を失った銀次郎は、借金の帳消しを条件に遊郭の用心棒になる。だが、銀治郎に与えられた本当の役割は“男女郎”であり、夜な夜な精神的・肉体的な責め苦を受けるという快楽と苦痛の“生き地獄”が展開される。900ページを超える長編ゲイ・SMコミック。

変態がみんな仲良くひとつの雑誌に収まっていた時代

溝口 「Badi」についてもう少し説明すると、創刊は1994年で、最初の頃はイラストが表紙でしたが、だんだんと編集者が顔出しするようになりました。そうすると、若いゲイの人がグラビアに出るようにもなってきたんですよね。創刊に携わった小倉東(マーガレット)さんが「僕らのハッピーゲイライフ」というキャッチコピーを掲げて、ゲイの顔出しを含めた編集方針を打ち出していました。 でも、当時ドラァグ・クイーンがゲイ雑誌ではNGだったというのは、その女性性が問題だったのでしょうか?

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表現とセクシュアリティーズ

エスムラルダ /田亀源五郎 /溝口彰子

『BL進化論』シリーズの著者でレズビアンの溝口彰子さんが「いつか絶対、きちんとお話ししたい」と願っていたのは、ゲイ・エロティック・アーティストの田亀源五郎さん。田亀さんは、青年誌で連載されたマンガ『弟の夫』が大反響を呼び、数々の賞を受...もっと読む

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gaku_cscvroff 連載第3回です。 https://t.co/o96hDoljgC 3ヶ月前 replyretweetfavorite