子どもを産んでから性欲が激減して、大ショック!

【第9回】議員である美砂の一日。
朝のニュース番組でその舌鋒をゆるめることなく
老害のセクハラ発言を叩く。
その後、白金高輪駅でも「駅立ち」で女性の地位について訴える。
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 議員になる前から肌で感じていた。「ガラスの天井」があって、女は決まった高さまでしか行けない。美砂の通った大学でも、男の先輩から何度言われただろう。

「女のくせに生意気だな」

「キレイなんだから、にこにこしてるか、黙っていればいいのに」

 大企業で数年働いたが、重要な仕事は与えられなかった。逃げるようにイギリスに語学留学し、ホスピタリティマネジメントを学んだ。帰国後、「このままではいけない」と、当時流行ったベンチャー政党の塾生になった。世話になったが美砂には冷徹な状況認識があった。「ここではダメだ」と、翌年、民主党に入党。二〇〇九年の東京都議会議員選挙に、実家のあった港区から出馬した。コネも金も知名度もない美砂にとって唯一の武器になったのが「ミス早稲田準グランプリ」の称号だった。「女を武器にしたくない」というジレンマを抱えながらも、世間の男から票を得るためには、なりふり構ってはいられなかった。

 美砂は初挑戦で初当選を果たした。三十三歳のときだった。国会でも民主党が政権与党になったが、バブルは三年あまりで弾けた。二〇一三年の二期目の選挙では苦戦を強いられた。「先生」とおだてられていた多数の同期議員が特権階級から脱落する中、美砂は僅差で生き残った。同じ頃、鐘山明人と出会った。

 美砂は声を張り上げる。足を止めて聞く者は少ない。自分では辻説法だと思っている。若い女性から握手を求められることもあるし、男から嫌がらせを受けることもある。たいていは中年男性か老人で、スーツではなく、くたびれた服を着て、こう言っては何だが、見るからに無職だ。

 この日はやたら肌艶のいい老人グループが陣取っていた。美砂が話すたび、うんうんとしきりに頷き、拍手を送ってくる。まるでよき理解者だとでも言いたげに。演説が終わるとおずおずとひとりが近づいてきて、「これにサインをください」と、男性向け週刊誌を差し出してきた。グラビアページで、「いちばんエロい女性議員は誰だ〖縦中横:!?〗」という特集だった。老人はサインをもらうと、粘っこい握手を求めて去っていった。

 この程度の嫌がらせなどたいしたものではない。議員生活も三期目に入った美砂にとって慣れっこになった。むしろギャラリーが増えるので、凶器さえなければいつでも受けて立つぐらいの気持ちがある。

 初当選後、駅立ちをしていたら、自民党支持者の男から水をかけられたこともある。あのときは怖かった。通行人が警察を呼び、男は現行犯逮捕された。その様子がユーチューブに上がった。コメント欄に「自作自演だ。水をかけた男は東雲美砂の選挙スタッフだ」などといったデマが書き散らされていた。

 美砂はその場で一礼し、自分でビールケースを運び、離れた場所に停めていた車に乗り込む。演説した場所のそばに車を停めてはいけない。「こいつは偉そうに、女のくせに男に車を運転させているのか」と思われるからだ。たとえ車がワゴン車だとしても。

 事務所に着く。仕事が山積みだ。昨年、民進党を離党し、八人の議員とともに立ち上げた立憲民主党に鞍替えした。美砂の現職はまちづくり・子育て等対策特別委員会委員長、港区議会五輪・パラリンピック対策特別委員会副委員長など、多岐に亘る。ましてや本会議が近い。これから午前中に区議会で会派総会に出席し、その後も交通問題特別委員会、総務区民委員会と目白押しだ。今夜も帰りは日付を超えるだろう。グーグルカレンダーに埋め尽くされたスケジュール表を明人も自分のスマホでチェックできるようになっている。しかしこの時期はずれ込むのが当たり前と、議員の夫として承知している。

 それにしても──と美砂は思う。明人はなぜ昨夜、寝たふりをしていたのか。ベッドの噓くさい寝顔に、一日の疲れがどっと押し寄せてしまった。美砂自身、子どもを産んでから性欲がどこかへ行ってしまった。これは自分でも大きなショックだった。事情を素直に話してから、明人は求めてくることをやめた。以前訊ねたら、「ひとりで処理しているよ」と話していた。

 美砂は頭の中で打ち消す。きょうも忙しい一日になる。

 ──僕も奥さんを見たよ。

 自宅で仕事中の明人に、豪からLINEが届いた。明人は仕事の手を休め、どこで? と送る。即座に返事が来る。

 ──仕事で白金高輪駅に直行したら奥さんが演説をしてた。へんなおじいさんたちがまとわりついていた。

 既読にはなるものの、明人からLINEは来ない。豪は続ける。

 ──止めに入ったほうがいいのかな? ってちょっと思っちゃったよ。

 しばらくして明人から返信が来る。

 ──何も問題はなかったんだろう? 俺のとこにも何も言ってこないし

 ──心配じゃないの? 奥さんはテレビにも出るし、有名人だし。

 ──よくあることだよ

 豪は明人の冷淡な一面を見た気になる。返信を戸惑っていると、明人からスタンプ付きで、いまから会えない? とLINEが来た。


 落陽がロー・アンバーの変則的な建物を染めていく。とはいえ六月のこの時期、日はすっかり長くなった。十九時近くになってようやく夜の帳が下りようとしている。気象庁は梅雨入りを宣言したものの、今年は空梅雨になると予報していた。

 帝国ホテルの一室では、シャワーを浴びる時間を惜しむように、ふたりの男が激しく求め合っていた。初めて結ばれた夜と同じホテルは、ふたりの情熱を搔きたてた。

「俺の尊敬する建築家はフランク・ロイド・ライトなんだ。スペルが違うことは承知で自分の息子に光と付けた。ゴーちゃんが帝国ホテルを予約してくれたときは嬉しかった。俺のいちばん好きなホテルだったから。この人は俺のことをわかってくれると思った」

 明人は胸の内を明かす。豪はほくそ笑む。

「ヘタなホテルには行けないと思っていたからだよ。ひょっとしたらお互い呼び出しの電話があるかもしれない。だったらもっと近場のほうがいい。だけどそれだと知っている人に見つかるかもしれない。色々考えて帝国ホテルにしたんだ」

「高いのに、すまない」

「そんなこと気にしないで。それはそうと、ライトが設計した帝国ホテルと、いまの帝国ホテルは別物でしょう? それはアキの中で問題ないんだ?」

 明人は豪のそばかすの浮いた背中にキスをしながら答える。

「形を変えても愛は残る」

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東京パパ友ラブストーリー

樋口毅宏

有馬豪は、渋谷にあるファンドマネージメント会社のCEO。30歳のイケメンであり、イクメンだ。 娘の亜梨が通う保育園で、鐘山明人というおっさん建築家と知り合い、飲みに誘われる。 これが、それぞれの妻を巻き込んでの地獄の幕開...もっと読む

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