9 ヘアカット100
ドルフィン・ソングの対面取材が決まった。
五月に、島本田恋と三沢夢二の新生ドルフィン・ソング、ファーストシングル「無鉄砲とラブアフェア」、六月にはアルバム『フィルム・コメント』がリリースされる。
それに合わせてのインタビューだった。レコード会社が力を入れていて、ドラマの主題歌が決まっているという。それで世間的にも大きく名が知れ渡ることになるが、私は「ふーん」と知らないふりをした。
送られてきたプロモーション盤のCDを大音量で流す。何千回と聴いたアルバムだが、これまでとは違うように聴こえた。
遂に顔を合わせるときが来たのだ。感慨深いものがある。だけどその先に、もっと大きな目標が私にはある。これはスタート地点に過ぎない。わかっているのだが、一週間前から寝付けなかった。
インタビューを控えて、表参道の美容院に向かった。せっかくふたりに会うのだ。気合を入れて、おめかししていこうと思ったのだが、「ウチは時代の最先端を行ってますから」と自惚れるヘアデザイナーのセンスは天然記念物レベルだった。無理もない。いい女と言えば、ワンレン・ボディコン・ハイヒールの時代に、こちらは二〇一九年の感性と流行を知っているのだから。私は私のやりたいように指示を出した。
「長さはショート、マッシュボブで。トップはゆるふわ。前髪は厚めで立体感を出す。短めのバングだけど顔回りまで小顔に見えるように。カラーはアッシュにしてツヤ感を心持ち多めに。全体的に脱大人とフェミニンを意識して下さい」
美容師は何を言われたのか半分も理解できていなかったが、無理やりにでも従わせた。梨花のブログを読み込んできた私が言うのだから絶対正しいってなもんだ。
髪をカラーリングしている間に差し出された雑誌は——気を使ってくれたのだろう——どれも実年齢より下のものだった。『Caz』に『CLiQUE』、『ヴァンテーヌ』に『ル・クール』。『ヴァンサンカン』などは、それこそ凶器になりそうなほど厚かった。どれも広告収入がハンパじゃなさそうだ。それこそ一冊も売れなくても、出版社は濡れ手に粟の時代だった。
しかしこの前の月、三月二十七日に、大蔵省は「不動産の投機を目的とした取引融資を規制します」と発表していた。伊武雅刀によく似た金融局長は会見で淡々と、されど胸を張るように豪語した。
「これにより地価が下がり、一般の人でもマイホームが買いやすくなります。大改革と言えましょう」 この末路がどうなるか、私は知っている。
大蔵省の行政指導のせいでバブルが崩壊するのだ。転売できなくなった土地は一気に価値が半減し、都市部を中心に余りまくる。巨額の不良債権が生まれて、金融機関は経営を圧迫された。山一證券の社長が営業停止を発表する会見で「社員は悪くありませんから!」と泣き叫び、長銀こと日本長期信用銀行は破綻。公的資金(私たちの税金)を注入して一時国有化するのは、この年から七、八年後のことだ。
もし私がいま「銀行が潰れる」などと口走ったら、第一級の妄想狂として強制入院は避けられないだろう。
しかし好むと好まざるとにかかわらず、狂っていたのは私たちのほうだと知ることになる。今後、自殺者の数と失業率は右肩上がり。大学卒業生の内定率はウナギ下がりに墜ちていく。挙げ句の果てに、日本の借金は一千兆円にまで膨れ上がる。
泥沼にずぶずぶと頭まで浸かった日本は、慢性的な不景気を誰かのせいにしたくなり、正義感と義憤と被害者意識から、これまた人を困らせるのが得意な隣国のせいにする。
あれよあれよという間に、そんな時代がやってくる。まだ誰も知らない。
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