8 生きていて良かった
ミリ・ヴァニリ問題がまたぶり返した。
といっても、事態は私にとって好転しようとしていた。
ミリ・ヴァニリが二月にグラミー賞の新人賞を獲得した。件の出版社の担当は、まるで自分がもらったように威張り散らしていると、風の噂には聞いていた。
「歴史のある、アメリカでいちばんの音楽賞を受賞したんだぞ。連中はホンモノだよ。それが見抜けない奴は音楽を聴く資格はないな。俺は初めて聴いたときから——」
わりと顔の広い男だったらしく、「こんなバカな原稿を書いた女がいた」と、業界中に言い触らしていたらしい。
しかし、情勢は一夜にして変わった。
相も変わらず寮暮らしの私を、階段の下から呼び出す声がひっきりなしに届いた。
「トリコさーん、またお電話ですよー!」
私はいくつかの新聞社からコメントを求められた。記事は通信社を経由して、〝世界で誰よりも早く、ペテン師と喝破した女性音楽ライター〟と紹介され、「TORICO」の名は世界中に知れ渡った。 〝彼女の意見を聞いていれば、グラミーは恥をかかなかった〟 『ニューズウィーク』のアメリカ版に書かれた記事に目を通したときは、むかしむかし、「それでも地球は回っている!」と宣言したおじさんの気持ちはこんなだったかもしれないと思った。それからは矢のように仕事の依頼が舞い込んできた。
とはいえ私がライター一年目であることに変わりはない。褌を締め直して、どんなに小さくても、一本一本の原稿に心血を注いだ。そんな頑張りが認められたのか、大きな仕事を持ちかけられた。
「トリコさん、ウチでトリコさんのコーナーを始めませんか。毎月アルバムを何枚かセレクトして、売れるか売れないか、判定するんです。その名も〝トリコのズバッとジャッジ!〟」
雑誌に載った自分の冠記事を目にしたときは、感無量というか、「ナンも言えねえ」状態になった。頬を伝うものがある。涙だと気づくまでに時間がかかった。私の人生にも、嬉し涙を流すときが来るとは。 生きていて良かった。
あのとき自殺なんかしたけど、死ななくて良かった。こんな私でもやれるんだ。これからもがんばろうと思った。
この連載はほどなくして業界内外で、「的中率百パーセント」の評判を呼ぶようになる。プロダクションの人間がデビュー前の新人を連れてきて、「彼ら売れますかね?」と相談してくることもあった。ごちそうになり、タク券をもらい、帰り際に渡された封筒の中には、先月まで私が一カ月間、一日も休まずに働いて稼いだお金と同額のものが入っていた。世の中だけでなく、私自身もバブルだったのだろう。
またあるときは「どうやったらこのバンドは売れるか?」と、レコード会社の会議に呼ばれた。 「いいものを持っているのは疑う余地がないかと。ボーカルのルックスも悪くないし、曲も書けるし、プッシュしてくれる媒体もある。でもねえ、アルバムを三枚出しても、一向に売れる気配がないんです。トリコさんに、お知恵を拝借できないかと思いまして」
大きなテレビには、むさ苦しいボーカルがロックというより演歌のような、シャウトというよりは唸り声をあげる姿が映っていた。
「ぷかり~ぷかり~うきぐもぉ~お~と~こぉ~!」
ディレクターが私のほうを見る。
「や、私も大好きですよ」
「どうすればいいでしょう。この先売れますかね?」
私は溜め息とともに答えた。
「悲しみの果てに墜ちるまで、待つしかないんじゃないでしょうか」
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