6 雑司ヶ谷とジョン・レノン
私は下北の木旺館にいた。この店に来たのは四カ月ぶりだった。
偽りでも構わない。私にはこの時代に自分を保証するものが必要だった。今回も約束の時間に五分遅れてお目当ての男が現れた。髪をおろし、口のまわりに髭を生やしたせいで、初めて会ったときより少し歳を取ったように見えた。かといって三十には遠く届かない。
「前に会ったときより綺麗になってる」
劉朝偉は私の真横のイスを引いた。ガタガタと騒々しい音に、他の客は気づかないふりをした。
私はテーブルのレモンティーを端に置いて、紙袋を差し出す。劉は黙って中身を覗き見ると、自分のポケットに押し込み、胸元から免許証を取り出した。
見知らぬ名前と住所がそこにあった。この時代の免許証は若干大きく、ICチップも入っていない。
「住所が雑司ヶ谷とあるね。ここに引っ越したほうがいい?」
劉はニコリともしなかった。
「やめたほうがいいです。あの町は、何が起こってもおかしくないと聞いています」
そっか、この免許証の人は雑司ヶ谷で亡くなったのか。これ以上立ち入るのはやめておこう。
劉が、じゃあと言ってその場を去ろうとしたので、私はその腕を掴んで引き留めた。
「訊きたいことがあるんだけど、あくまでも劉さんの意見で構わないから。どう思う? って話」
「別料金です」
「サービスしなさいよ。また仕事を頼むかもしれないし。あんたたちにできることがあったら」
「ワタシたちにできないものはないです」
劉はロレックスの腕時計を見てから、イスに座り直した。また床がガガガと鳴いた。
掻い摘んでドルフィン・ソング殺人事件のアウトラインを、私の妄想込みで話した。島本田恋と三沢夢二の名前も少し出した。裏稼業のプロの見解が知りたかった。劉朝偉は面倒臭そうに、語り始めた。
「まず、あなたの話ですが、どうしてそのバンド内で殺人事件があってはいけないのですか? いいえ、あなたの口振りからはそう聞こえました。人が人を殺すのに明確な理由が必要ですか? ワタシはビートルズやストーンズから、ボウイやプリンスまで大好きですが、バンド解散の理由のほとんどは、メンバー間の音楽性の違いではなく、女と金の取り合いです。ドラッグで被害妄想に襲われた若造が、カッときてやってしまった。それだけだと思います」
「クスリは検出されなかった」
劉は構わず続ける。
「ふたりが抜けた後に、売れたことを妬んだ旧メンバーの仕業だとか、ボーカルの父親の芸能プロダクションが、ショー・ビジネスの掟を破ったために見せしめにやったとかあなたは言いますが、話が飛躍しすぎている。〝事実は小説よりもベタなり〟。ワタシの身の回りで起きた事件や災難は、全部そうでした」
「はあ」
話は終わってしまった。事件の裏を追うために、関係者にあたることも一時考えたが、やはり私は島本田恋と三沢夢二のふたりのみを注視していけばいいのか。そう思った直後、劉は、しかし——と私の思惑を遮った。
「一介の歌手といえど、時代を変えるほどの才能を所有していたら、その裏に何かあるかもしれない」
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