四十年以上生きてきて、初めて生きている感じがした。

【第16回】2019年から1989年にタイムスリップしたトリコは、伝説のユニット「ドルフィン・ソング」の事件を未然に防ぐため、音楽業界に接点をもつべく模索し始めた。すると僥倖なことに憧れの「rockin'on」に原稿が採用され、さらに若者向け情報誌からもディスクレビューの依頼が舞い込んだ。40年以上生きて来て、初めて生きているような感じのする日々。だがそんなとき、元情夫が目の前に現れた……。

3 午後三時のオプ

 ハッピーは続いた。当時の『rockin’on』は、テキストが掲載されると、書いた人の住所も併せて掲載された。個人情報保護法の概念が行き渡った現代では考えられない話だが、若者向け情報誌が、私の記事を読んで連絡を取ってきた。ディスクレビューを書きませんかという話だった。

 私は編集部を訪れ、プロモ盤をもらった。マイブラの『Isn’t Anything』と、レニー・クラヴィッツのデビューアルバムと、ミリ・ヴァニリのシングルだった。息が止まるかと思った。

「こちらのような大手の出版社さんが、私なんかに原稿を依頼してもいいんですか」と訊くと、担当は「ムチャなページを作りたい」とのことだった。千字余りの小さな記事だったが、仕事を任せられた気がして嬉しかった。

 帰りは地下鉄を乗り継いで、池袋をぐるっと回った。タワレコとWAVEは明治通り沿いにあり、ジュンク堂とBEAMSはまだなく、新栄堂書店とタカセに寄った。

 冬はまだ先だったが、この日は肌寒かった。コートの襟を立てて、サンシャイン通りを行く。シネマサンシャインと東急ハンズがまだ真新しい。テアトルダイヤはこの頃からとうにボロかった。あんなにスクリーンの小さな映画館は他にないだろうと思う。HMVもマツキヨもまだない。ありあまる思い出の地だが、気分は落ち込まなかった。

 気がつくと上を向いて、胸を張って歩いていた。

 空の高さが苦ではなかった。こんなこと、いつ以来だろう。

 四十年以上生きてきて、初めて生きている感じがした。

 数カ月前に、ドルフィン・ソングがファーストアルバムをリリースしていた。この頃はまだごく一部の好事家にしか届かず、ライブで演奏すれば盛り上がって好きだったが、私にとって思い入れのあるアルバムではない。直後にメンバーが三人抜けて、島本田恋と三沢夢二のふたりになり、歌詞を英語から日本語にして歌うと、俄然注目を浴びるようになる。世間の知っているドルフィン・ソングになるのは翌年の五月だ。

 —必ず出会える。この道はドルフィン・ソングに続いている。私が彼らの死を引き止めてやる。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

林真理子さん、燃え殻さんも認めた著者の会心作、遂に文庫化!

この連載について

初回を読む
ドルフィン・ソングを救え!

樋口毅宏

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心作を限定公開!  2019年、45歳独身で人生に絶望したフリーターのトリコ。睡眠薬で自殺をはかって目覚めたのは、1989年の渋谷だった! トリコに幸せは訪れるのか?  「めちゃくち...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません