ロッキング・オンにもの申す!

【第15回】1989年の世界にタイムスリップしたトリコは、この時代に来た意味を考えていた。だがそんな矢先、あこがれの「ロッキング・オン」に原稿が掲載され、テープ起こしのバイトをやらないかと声をかけられた。しかも、訪れた編集部には伝説の創業者、渋谷陽一がいた!

2 rockin’on

 渋谷駅から数分のカコー桜丘をめざす。ロッキング・オンの編集部が入っているビルだ。

 掲載されたお礼を編集部に伝え、原稿料は現金書留でお願いしますと伝えたところ、「テープ起こしのバイトをやりませんか」と声をかけられたのだ。私に拒否権はなかった。

 ロックが好きで、でも内省的で、頭でっかちで理屈っぽい私は、当然というかご多分に漏れず、『rockin’on』の熱心な愛読者だった。「愚鈍」とか「呪詛」とか「強迫観念」とか、難しい漢字はすべて『rockin’on』から学んだと言ってもいい。『DOLL』や『BURRN!』読者からは「信者」と呼ばれていたが、「私はおまえらみたいなバカじゃないんだ」と言い返していた。一念発起して伝言板のページに、「ボーカル以外のパート全員募集」と出したのも、いまでは苦い思い出だ。

 そのロッキング・オンからお呼びが掛かった。天にも昇る気持ちとはこのことだった。

 編集部の扉を開ける。二十坪ほどだろうか、編集者が五、六人ほどいた。創業者の渋谷陽一の姿を探したが不在だった。それでも私にとっては、オールスターとも言える編集者が揃っていた。劉朝偉のときとは別の緊張を強いられた。

 ロッキング・オンはむかしもいまも、編集者がアーティストにインタビューをし、記事を書いている。当時はひとつ残らず個性的な原稿ばかりだった。強烈かつ、自意識過剰の文体にどれだけ感化されたかわからない。 「すいません……」と、手前の男に声をかけると、「増井さーん、お客さーん」と大きな声を張り上げた。奥から異様に存在感のある男が手招きをする。来年には渋谷陽一の跡を継いで、『rockin’on』の二代目編集長に就任する増井修だった。私は彼の机の前に腰を下ろした。

「あなたがあの原稿書いた人? あれ良かったよねえ、『ロッキング・オンはこうやって時代をサバイヴしろ』。みんなで回し読みして腹抱えて笑ったよ」

 やけのやんぱちだった。ロッキング・オンはいま、カウンター・カルチャーというか、同人誌の延長線上のような誌面作りを展開しているが、今後本気で音楽業界に影響力を持ちたいのなら、甘っちょろい反権力気取りは棄てて、自分たちで音楽シーンを一から構築していくべきだ。ロッキング・オン主催でコンサートを開くようになれば、紙媒体から脱却することができる。渋谷陽一よ、決戦のときは近づいていると、熱を込めた原稿をしたためた。どうせボツになるだろうとあきらめていたが、当時のロッキング・オンはこういう原稿を面白がって誌面に載せるような気風があった。

 増井が長い顔をさらに伸ばして、小鼻を膨らませる。

「でもホントにこんな風になると思う? あなたはいまに日本も夏になると屋外フェスティバルが開かれるようになるって書いてたけどさ。フェスってレディングみたいなヤツ? あれはイギリスだからできるわけでさ」

 これがこの時代の常識だ。日本はまだ大箱のスタンディングライブさえ珍しかった。どんなに踊れる海外アーティストも、日本青年館や渋谷公会堂といったイス付きの会場しか存在しなかった。新宿リキッドルーム、SHIBUYAAX、Zepp Tokyo、STUDIO COASTができるまで、相当の年数を必要としていた。 「ところでさ、知ってると思うけど、うちは日本のロックを取り扱った雑誌も出しててね。月刊化して、人手が足りないんですよ。家でできるバイトなんで一丁お願いできますか」

 ロッキング・オンは八〇年代の半ばから洋楽ロック誌『rockin’on』の他に、邦楽ロック誌『ROCKIN’ON JAPAN』、カルチャー雑誌『CUT』を創刊する。その後も幾つか雑誌を出すが、私がロッキング・オンの雑誌を毎号楽しみにしていたのは、九〇年代終わりまでだ。ロッキング・オンは一大勢力になり、サザンオールスターズを擁するアミューズと同じ高層ビルディングに引っ越し、自分たちで夏フェスを企画運営するまでになる。「ROCK IN JAPAN FES」は毎年夏、茨城県ひたちなか市で行われ、四日間で二十七万人以上を集める一大イベントにまで成長する。

 音楽不況、出版不況により、音楽雑誌はゼロ年代にバタバタと休刊ラッシュを迎えるが、ロッキング・オンが生き延びたのは、イベント会社に生まれ変わったからだ。 「そういえばストーン・ローゼズは行くの?」  一気に血が沸騰しそうだった。そうなのだ、あのローゼズの初来日公演が近づいていた。これぞ歴史の証人になるチャンスだった。私は川崎クラブチッタのチケットを押さえていた。

 偽造免許証を買うために、爪に火を灯すような生活を送っていたが、この時代の、レジェンドになる前のミュージシャンのライブはやはり生で観ておきたかった。年明けにはレッチリも来日する。『母乳』がリリースされたばかりで、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の前だ。いちばんヤンチャだった頃の彼らを千人キャパで目撃できるなんて、何を差し置いても行くしかない。

 扉が開く音がした。渋谷陽一だった! 昭和の妖怪こと、岸信介そっくりだった。

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ドルフィン・ソングを救え!

樋口毅宏

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心作を限定公開!  2019年、45歳独身で人生に絶望したフリーターのトリコ。睡眠薬で自殺をはかって目覚めたのは、1989年の渋谷だった! トリコに幸せは訪れるのか?  「めちゃくち...もっと読む

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コメント

bodyhacker これはおもしろい 1年以上前 replyretweetfavorite