性同一性障害を救った医師の物語⑰

たとえ罰せられても医師として覚悟の上。「国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に悩める患者を救い続けてきた伝説の医師が今蘇る!書籍「ペニスカッター」より、本文を抜粋してお届けします。

性同一性障害を救った医師の物語⑰


前回からのあらすじ
耕治は事件が公になったにも関わらず、性転換手術の是非は問われなかったこと、日本の性同一性障害に対する治療は遅れていることを憂いていた。治療は患者不在のまま行われているのだ。そんな中、GIDネットワーク第1回会合が開かれるなど、進展もあった。しかし、長年の心身の疲労は癒えることがなかった。

第12章 神に感謝

例外ー患者の気持ちを優先

「先日のこと」と題されたブログが、耕治にとって最後の更新となった。

以後、その死までおよそ一〇ヶ月のあいだ更新されることはなかった。 直接沈黙に関係があったのかは定かではないが、少し前に東京で手掛けた性転換手術の患者 (MTF)のことで感慨深いものがあったという。

その患者のことは、もう七年も前から知っていた。長い間、普通に男性として社会生活を送ってきていたが、ある時からもう男でいることに耐えきれなくなり、女装を始めた。しばらくは気持ちが落ち着いていたが、まもなく女装だけでは満足ができなくなった。それから数年悩んだすえ、外科治療を求めて耕治のもとにやってきたのだった。

美人というわけではないですが顔も女顔で、普段の会話の声も高めで女性的で、ふつうに女性として見ても、少し太めのおばちゃんのような感じで、不自然さはほとんどなく、 本人の性転換したいという気持ちも素直に理解できました。 当時は下町のゲイバーに少し勤めていて、限界はある中でも、男だった昔と比べればずっと自分らしく自然に生活している様子でした。

男として生まれた身体をできるだけ女らしくしたい、という本人の望みも可能な限り受け入れて叶えてあげたい。が、その患者には残念ながら重度の腎不全があった。週に三回、人工透析に通わなければいけない障害を持っていたのである。 当時は、耕治の標準的なMTF性転換手術をするには、最低でも四、五日の入院が必要であり、人工透析を受けている人は他に身体的には何の問題がなくても透析設備のある病院でなければ不可能であった。

相談の結果、手術に関しては、除睾術と豊胸手術までにしておくしかないという結論になった。もちろん慢性的な貧血のある身体では、豊胸手術自体かなり危険ではある。しかし色々と安全対策を整えて実施すれば、何とかやれるのではないかと計画した。 カウンセリングも綿密に行い、万全を期して手術の計画を立てた。 大阪のわだ形成クリニックに来てもらって一日入院の後、大胸筋下の人工乳腺埋入手術を実施した。一九九九年のことである。幸い豊胸手術は何とか無事に終わり、結果も良好な状態に仕上がってくれた

もちろん何らかの身体的問題があれば、緊急性がないと思われる美容整形のような手術は一切行うべきでないという考え方も当然あるかと思いますが、差し迫った必要性がないと判断できるのはそう考える人が当事者でないからであり、患者本人にとっては美容手術だろうと性転換手術であろうと十分に重大な必要のある問題なわけです。その気 持ちがわかるからこそ、一歩間違えば事故が起こり、場合によっては刑事事件になるかもしれないとわかっていても、私としてはただ自分の保身だけを考えたくなくて、患者本人の立場や気持ちを考慮して、ケースバイケースで、今まで応じてきたわけです。

一度かかわった患者には最後まで

そんなことまでしていると、いつか事故や事件が起こって大変なことになるよと医者仲間には言われますが、これが私の医者としての性分なのですから仕方ありません。保身だけを考えるならはじめから性転換手術などに手をつけていません。

美容外科医のくせに変な奴だと言われるのもしょうがないことだった。たしかに安定を求めるならば、権威に笑顔を振りまき、横のつながりを広げていけば、将来 の地位が保証されることだろう。しかし保身のためだからといって、法律が許さないからといって、一人の悩める人間を見て見ぬふりをするわけにはいかない。できない性分なのだった。決して人の道に反してはいない。

人間が決めた「法」に反することはあっても、法というものは時代によっても、地域・文化によっても様々に変化するものであり、肝腎な点は人間として自分の心に正直であるか否かである。 この男性(MTF)の豊胸手術は、重度の腎不全がありながらも何とか事なきを得たが、豊 胸手術自体が通常の女性に施すのとは異なり難点が多いと耕治は言う。

言っておきますが、世間の美容外科医には豊胸手術なんて剝離して入れるだけだろ、簡単じゃんと言われるかもしれませんが、豊胸手術、特に大胸筋下の豊胸手術で簡単な のは個人差もありますが、せいぜい一八〇㏄までであり、ニューハーフのような男性がもともと貧乳のくせに巨乳を望む場合、筋肉の剝離の難しさもあって、出血も多量になることがしばしばあり、それほど簡単じゃないのです。ましてや重大な余病を抱えているわけですから、手術も術後も私としてはかなり緊張し、びくびくなわけです。でも幸 いなことに事なきを得て何とか無事に終わったということなのです。

それから何年も経ち、しばらくその患者と会うことはなかった。もちろん忘れることはない。耕治は一度かかわった患者には、最後まで責任を持って診るという医師としての信条があった。 そこへ、とある懇意の先生から性転換手術をしてあげてくれないかと紹介があった。耕治は二つ返事で引き受ける。まもなくしてその患者は彼の所に相談に訪れることになった。 今回は、設備を利用させてもらっている東京のクリニックでカウンセリングをすることになった。

名前を聞くと、どこか聞き覚えがある。何年も前に豊胸手術をしたあの患者だとすぐに思い出した。しかしこれは困ったことになったと耕治は思い悩む。

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性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治のノンフィクション

この連載について

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性同一性障害を救った医師の物語

和田 耕治/深町公美子

「たとえ罰せられても医師として覚悟の上。国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。 性同一性障害者の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に...もっと読む

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PagannPoetry 今週分の更新です。この連載も次回で最終回。 https://t.co/5rI6tOnpTM 1年以上前 replyretweetfavorite