性同一性障害を救った医師の物語⑬
前回からのあらすじ
性転換手術の独自のガイドラインを設定し、その治療としての手術スタイルを確立させていく。そして、世の中にこれほど多くの人が、自分の体と心の不一致に悩んでいるという事実に気づかされるのであった。
第10章 最も不幸な医療事故
性転換手術死亡報道
二〇〇二年、わだ形成クリニックが開院して七年目を迎え、耕治が執刀したMTF性転換手術は、すでに二五〇例にまで達していた。紹介でしか客をとらないにもかかわらず、予約はずっと先まで埋まっていた。この頃がまさに絶頂期だったと言っていいだろう。
思えば五年ほど前、かなりの数の治療実績を有するようになり、そろそろインターネットや学会活動を通じた情報発信を何らかの形で少しずつ始めていこうかと考えはじめた矢先に、医療機関にとっては一番の大問題となる医療事故が最も不幸な形で発生し、私は否応なしに目先の問題の解決に追われるようになり、公的には当面、沈黙を強いられざるをえない状況に追い込まれました。立て続けに起こった二件の業務上過失致死容疑で、 警察の取り調べを受けることになり、うち一件が性転換手術だったわけです。
同年四月二日と三日。それは大々的に報道された。
「性転換手術後に急死 あご整形の女性も」『朝日新聞』
「『性転換』手術後に男性急死 美容整形の韓国人女性も ともに肺浮腫の症状」『サンケイスポーツ』
「性転換手術翌日に急死 一月に美容整形の女性患者も 院長、手術との関係を否定」『スポーツ報知』
「『性転換』術後に男性死亡 大阪の診療所 美容整形で女性も」『読売新聞』
「性転換手術後に三五歳男性が急変」『日刊スポーツ』
「性転換手術後に男性急死 美容整形の韓国女性も」『東京中日スポーツ』
「『医療事故』大阪の美容形成外科で男女二人死亡 警察が事情聴取」『毎日新聞』
以下、新聞各紙に記載された概要である。
事件は大阪市北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」(和田耕治院長)で起きた。今年二月、男性会社員(三五)=東京都小金井市=が性転換手術を受けた直後に容体が急変し、搬送先の別の病院で死亡した。事故直後すでに、大阪府天満署は院長から任意 で事情聴取したが、和田医師は手術との関係を否定したという。被害にあった会社員は、 自分の性に違和感を抱く「性同一性障害」の症状に悩んでいた。
二月二五日午後六時四〇分から約五時間半にわたって手術を受けるが、術後に容体が急変。別の病院で翌二六日午前六時三五分ごろ、死亡した。通報を受けた天満署が司法解剖したが、死因は不明。 肺に水がたまる肺浮腫の症状を起こしていたという。
同クリニックでは今年一月、飲食店経営の韓国人女性(三九)=大阪市平野区=があごの骨を削る美容整形手術を受けた後に、別の病院で死亡していたことも判明。司法解剖で死因は特定できなかったが、肺浮腫の症状があったという。院長は「女性は睡眠時無呼吸症候群だった」などと説明している。
テレビのニュース番組やネット、各メディア等でもこぞって取り上げられた。この国では長らく闇に葬られていた性転換手術が、およそ三〇年ぶりに騒動を巻き起こしたのである。
しかしながら事故の内容から、耕治は当初一年くらいで調査の結論が出て、刑事事件としての問題は解決、つまり事件性はないという結果に落ちつくのではないかという楽観的な見通しを立てていた。むしろそれ故に彼は、警察としては簡単に処罰無しにはしにくいだろうから、 性転換手術の適応の是非という本来事故原因とは全く無関係の問題にすり替えて、別の刑事事件にしていくのではないかという危惧を抱いてもいた。
そのため、事故の調査にも積極的に応じ、性転換手術の進め方についても詳しく説明し、警察にできるだけ悪い印象を持たれないよう努め、何一つとして問題にされないよう配慮したのだった。 そのように彼は、捜査妨害と取られるような言動は一切慎み、捜査に全面協力するという態度に徹した。しかし、当初の予想と異なり、事故解明への判断材料や資料は十分あるにもかかわらず、警察の調査は異常に長く続くことになるー。
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