性同一性障害を救った医師の物語⑪
前回からのあらすじ
順調に見えた性転換手術だったが、豊胸手術後の患者が意識障害に陥るという初めての事態が発生する。その出来事の全責任を負うことに奔走される日々。耕治は戒めとして、改めて医療に対する態度を引き締めるのであった。
第9章 性転換・美容整形へ全力投球
口コミだけで
ニューハーフを中心に口コミだけの連鎖で始まった耕治の性転換・美容整形だったが、本格的スタートを切った一九九六年中に、MTF ̶ SRSはすでに数十例に達し、その手術水準は急速に進歩した。 噂はしだいに広まっていった。と同時に、怪しげな連中による耕治への金目当ての脅迫、恐喝も絶えなかった。誤解と偏見の産物である。一九九六年当時は、まだ性同一性障害という症病概念、それに対する性転換手術という治療の観念は一般的ではなかった。
私が今日まで性転換手術について公言せず、沈黙を守り、医師や当院患者からの紹介がなければ受けつけないという姿勢を貫いてきた理由には色々とありますが、余計な人達からの下品な干渉介入から患者と治療環境を守りたいというのも一つの理由です。
あくまでも、一美容外科医
彼は事実上、GID治療の専門医のようになっていたのだが、謙遜してこう述べている。
美容外科一般を専業とし、普通の女性が多く訪れますが、FTM̶TS(性同一性障害 の女性)の人が男性ホルモン療法や乳房切除手術を希望して全国から来院されたり、MTF ̶ TS(性同一性障害の男性)の人が女性ホルモン療法やSRS(性転換手術)や女性化のための美容整形の相談を求めてたくさん訪れ、事実上その分野の専門医のようにもなっています。しかし今もそういったことを宣伝広告していることは一切ありません。 なぜなら私はあくまでも性同一性障害の問題に精通する一美容外科医であると考えており、特別に性同一性障害の専門医であるとは思っていません。(記者とのメールより)
日本でいちばん無名の有名人
何もしようとしない正統派の形成外科医達を見限り、私は所詮、異端無名である気安さから、たとえ捕まろうが脅されようが、医師としてやって正しいと思うことは徹底し てやるぞという確信犯的信念で走り出しました。
異端無名である気安さといえども、今や耕治は「日本でいちばん無名の有名人」と言われるくらい、その世界では有名になっていた。当然自信もついていたし、正当な医療をしている確信もあった。 トラブルを恐れていたら何も始まらないし達成もできない。アンダーグラウンドのヤミ医者と言われようが、無精髭・ジーンズで執刀して不潔だとか自分のことは何と言われようとかまわない。たとえ違法だろうが、患者は苦しみから救われる権利を人として当然有しているのだ。
法うんぬんの前に人を治療する医師であり、医師である前に一人の同胞としての人間である。見捨てるわけにはいかない。患者本人が希望する通りに外性器の見た目を変えることがいったい誰に迷惑をかけるだろうか? 迷惑どころか、一人の人間を救うことになるのである。耕治は孤高の美容外科医として邁進していくのだった。
たまには息抜きに、治療に来てくれるお客さんの働くニューハーフパブにも出向き、豪快にお金を使った。ストレス発散のためというのもあった。派手におだてられても耕治は照れ笑いするだけだった。でもやはりそんな夜は気分よく眠れるのだった。 ショーのアドリブのネタにされることもあった。 冗談酒場に行った夜には、ママが客席の耕治を指差し、「アタシ、あの先生に月に一回は、 オマンコ見てもらってるのよ〜」などと言っては客席の大爆笑を誘っていた。
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