大河ドラマの影に「南海トラフ地震」

国民の半数が被災者になる可能性がある南海トラフ大地震。それは「来るかもしれない」のではなくて、「必ず来る」。関東大震災の火災、阪神・淡路大震災の家屋倒壊、東日本大震災の津波。その三つを同時に経験する可能性がある。首都圏を襲う大地震も懸念される。
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真田丸で描かれた二度の地震

 2016年に大評判となったNHKの大河ドラマ『真田丸』をご覧になったでしょうか。
 主人公は信濃出身の戦国武将、真田幸村(信繁)。タイトルは大坂の陣で幸村が築いた出城の通称で、乱世の荒波を家族の結束で突き進んだ真田家を描いたドラマでした。三谷幸喜さんの脚本や、堺雅人さんはじめ個性的な役者たちの演技は痛快で感動的でした。
 しかし、私が注目したのは戦国武将たちの覇権争いはもちろん、それらと「地震」との関係でした。
 ドラマ前半の第14話「大坂」では1586年の天正地震の発生で、逃げまどう徳川家康の様子などが描かれました。天正地震は1582年本能寺の変を受け、天下統一に走った豊臣秀吉と家康が対決した1584年小牧・長久手の戦いから2年後に発生。近畿から中部にかけての内陸を襲った大地震です。
 詳しいメカニズムは分かっていませんが、岐阜の阿寺断層や金沢以南の庄川断層、三重を含めた養老―桑名―四日市断層など、複数の地震が連動して起きたと言われています。若狭湾や伊勢湾で津波の記録もあるようなので、海の断層も動いたのかもしれません。被害地域の広さは、内陸最大の地震と考えられている1891年の濃尾地震より広域にわたります。
 この地震で近江の長浜城が全壊、山内一豊の一人娘だった与祢が圧死しました。越中では木舟城が倒壊して前田利家の弟、秀継夫妻が死亡。さらに飛騨では帰雲山の山崩れで帰雲城が埋没し、内ヶ嶋家が滅亡に至ります。美濃の大垣城も全壊焼失し、伊勢国の長島城や尾張の蟹江城も壊滅、清洲城は液状化の被害を受けるなど、多くの城や戦国大名に被害が及びました。

 家康もドラマでは周章狼狽していました。揺れは比較的小さかったはずの三河ですが、岡崎城が大破したとの説もあります。このとき、秀吉は大軍を大垣城に結集し、ここを前線基地にして三河に攻め込もうとしていました。
 ところが、その大垣城は倒壊。秀吉は明智光秀がつくった近江の坂本城にいましたが、慌てて大坂に逃げ帰りました。その後は戦争どころではなくなり、結局、家康と和解することになります。地震がなかったら家康の天下はなかったかもしれず、家康にとっては命拾いの地震だったというわけです。

 秀吉のいた坂本城は琵琶湖のほとりにあり、地震で湖のナマズが奇妙な行動をとったという話が秀吉の耳に入ったと考えられます。秀吉は後に伏見城の普請に際して「なまつ大事にて候」、つまり「ナマズ(地震)に気をつけるように」と指示する手紙を書いています。これが地震とナマズを結び付けた最初の記録だとも言われています。秀吉は、長浜とか墨俣といった地盤の悪いところに城をつくることが多かったように感じられます。生まれたのも地盤の弱い中村(名古屋市中村区)でした。

「ドラマ」は南海トラフの活動期を描く?

 真田丸の第29話「異変」では、番組終盤にまた大地震が描かれました。秀吉の晩年に発生した1596年の慶長伏見地震です。
 京都から大阪、神戸に続く有馬|高槻断層帯を中心とした最大級の内陸地震。その4日前には四国の中央構造線が動いた慶長伊予地震が、前日には別府湾を震源とする豊後地震が発生。津波によって大分で多くの家屋が流失し、別府湾に存在したという瓜生島が水中に没したと言われています。5日間で三つの大地震が起きるという、歴史上まれに見る事態でした。
 秀吉は中国・明からの使節を迎えることもあり、京都の伏見城を豪華絢爛に改修していました。しかし秀吉の老衰は激しく、癇癪を起こしたり、同じ発言を繰り返したり。家康や幸村を含めた周囲は、すでに秀吉の「死後」をめぐってギクシャクしていました。
 不穏な空気と同調するように、城全体を激しく揺さぶった地震。完成間近だった天守閣は大破、御殿も崩れ落ちましたが、寝ていた秀吉は起きるや否や外に飛び出し、辛くも一命は取りとめました。ただし、接待のために集めた美女たちがいた長屋はことごとく全壊、数百人は犠牲になったとみられています。
 結局、明との講和は頓挫し、再び朝鮮に出兵する慶長の役が翌年から始まりました。その1年半後、秀吉は死去。日本軍は命からがら撤退することになります。ここから関ヶ原の戦い、大坂冬の陣、夏の陣と歴史は動きました。その間にも1605年に慶長大地震、1611年に会津地震と慶長三陸地震、1614年に新潟で高田地震が発生するなど、慶長年間は地震だらけでした。豊臣家は地震と共に滅亡の道をたどったと言って過言はないでしょう。真田幸村は高田地震の翌年、1615年の大坂夏の陣で命を落とし、豊臣家も滅亡します。
 このように、真田丸では地震が二度も登場し、防災畑の人間としてはめったにない興奮と感動を味わいました。しかし、実は大河ドラマで描かれる時代は、南海トラフ地震の活動期と重なっていることが少なくないのです。

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次の震災について本当のことを話してみよう。

福和伸夫

国民の半数が被災者になる可能性がある南海トラフ大地震。それは「来るかもしれない」のではなくて、「必ず来る」。関東大震災の火災、阪神・淡路大震災の家屋倒壊、東日本大震災の津波。その三つを同時に経験する可能性がある。首都圏を襲う大地震も懸...もっと読む

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YAMATO_BB01 1586(天正14)年の“天正大地震”が無かったら家康高の天下も無かった⁉️。 https://t.co/QxGWO7A1MN 9ヶ月前 replyretweetfavorite

piyosurk 地震がなかったら家康の天下はなかった?! https://t.co/6y0xhec0tT 9ヶ月前 replyretweetfavorite

BCPozaki 地震がなかったら家康の天下はなかった?! #SmartNews https://t.co/xzVneLxm6Y 9ヶ月前 replyretweetfavorite