なぜ『日経ビジネス』の記者は、簡単に大企業の社長に会えるのか?
加藤貞顕(以下、加藤) 今日はお集まりいただき、ありがとうございました。川上さんと山口さんが共著で出された『プラットフォーム ブランディング』(ソフトバンク パブリッシング)は、企業の広報担当者なら必読の一冊だと思いました。
川上慎市郎(以下、川上) ありがとうございます。
加藤 LINEの田端信太郎さんにもお越しいただいています。田端さんは、昨年『MEDIA MAKERS』(宣伝会議)という本を書かれています。こちらも企業のメディアとしてのあり方やブランディングについて考えさせてくれる本です。ブランドについて、メディアについて、みなさんいろいろお話を伺えればと思います。
田端信太郎(以下、田端) よろしくお願いします。
川上 それにしても、田端さんの『MEDIA MAKERS』は、本当に良い本でした。パラパラとななめ読みするだけでも十分楽しいんだけど、後で「あの話はどういうことだったっけ」と気になってくる。それで読み返すと、すでに読んだはずなのに、驚くくらい多くの発見があるんです。
田端 ありがとうございます。
加藤 『プラットフォーム ブランディング』も、たくさんの発見がある本です。Appleなどのスーパーブランドや韓国や中国の新興ブランド相手に苦戦を強いられる日本企業が、グローバルで戦える強いブランドを作るにはどうしたらいいのか? という問いが本の大きなテーマでしたが、拝読しながら、ブランディングの視点ってどんな企業にも必要だなと痛感しました。
山口義宏(以下、山口) まさに、あらゆる企業にブランディングの視点を持ってほしいと思って書いたので、そうやって読んでいただけるのは非常に嬉しいです。
川上 今日は、メディアについて日々考えていらっしゃる田端さんとお話したいことがいろいろあります。特にお話ししたいと思っていたのは、「アウラ」の話です。以前、自分のcakesの連載記事(https://cakes.mu/posts/1731)にも書きましたが、企業や個人のメディア化が進む現代では、アウラは避けて通れない概念なので。
加藤 アウラっていうのは、オーラのことですよね。人がまとっている雰囲気みたいなもので、「R30::リローデッド」でも取り上げていらっしゃいましたよね。田端さんの書かれた『MEDIA MAKERS』を受けて、企業や個人のメディア化について考えるというお話のなかで出てきた概念でした。(https://cakes.mu/posts/1731)
川上さん、あらためて、ご説明いただいてもよいでしょうか?
川上 例えばですが、僕はかつて『日経ビジネス』で記者をやっていたのですが、忙しい経営者たちがスケジュールの合間を縫って会ってくれるわけです。こっちは別にすごい経営者でもなければ著名な経営学者でもなく、ただの記者なのに、なぜ多くの有名経営者と会わせてもらえるのか? 記者時代、よくこの問題について考えていました。
加藤 メディアの裏にすごい数のビジネスユーザーがいて、そこに記事が載ればメッセージがたくさんの人に伝わるから、ではないんですか? 『日経ビジネス』は、ビジネスメディアとしては日本最強のひとつですよね。
川上 その通りなんですけど、それだけだったら、『日経ビジネス』よりも発行部数のある雑誌は日本にたくさんあるので、彼らがそちらの取材を受けない場合があることの説明にならないですよね。
加藤 たしかに。
川上 答えを明かしてしまうと、要は、『日経ビジネス』に載っているということ自体に価値や誇りを感じるから、出てくれるんです。経営者にとって『日経ビジネス』というメディアが、「オーディエンスに声を伝える透明なガラス」を超えて、「光り輝く虹」を放っているように見えているわけです。
加藤 ああ、その「虹」がアウラですか。
川上 そうです。連載の記事では「権威」という言葉で説明しましたが。
田端 そうなんですよね。メディアというのは、最初はあくまで拡声器にすぎなかった。でも、だんだんと、その拡声器を持ってしゃべれる人が一部セレブ層に限られてきて、それで逆説的に「あのメガホンでしゃべれる人こそがセレブだ」という認識が生まれたんですよね。
加藤 なるほど、それがアウラの力なんですね。
かつての「ブランド品」はソーシャルメディアに置き換わっていく
田端 アウラはもちろん、受け手の側にも働きますね。例えばこうやって知らない人同士で会ったときに読んでいる新聞が同じだと親近感が生まれたりするじゃないですか。「あ、川上さん朝日新聞とっているんですか? 僕も朝日新聞なんですよ!」という感じで。
加藤 「同じものを読んでる!」っていう、共通前提があると、ずいぶん距離が縮まって仲間意識が生まれますね。あれもアウラの効果なんですか。
田端 そうなんです。対象物がニッチになればなるほど、その効果は強まります。例えば、日本で『THE ECONOMIST』を読んでいる人同士が出会ったら、すごく嬉しくなると思うんですよ。
加藤 なるほど。そういえば、メディアだけじゃなく、モノでも一緒ですね。
田端 そうそう。時計がフランク・ミュラーを使っているとか、乗っている車がBMWだとか。
山口 ニッチや高級なブランドの本質は排他性だと思うんですよね。「そこのユーザーである」ということが重要であって、他の多くの人々と違う選択をしていることが自分のアイデンティティになるところがある。「そのメディアを見ている自分」、「そのブランドを持っている自分」に価値を感じる。
田端 ある種のシグナリングというか、共通体験なんですよね。例えば僕の場合、何の娯楽もない田舎の高校生で、一人で『宝島』ばかり読んでいたので、初対面の人に「え、僕も『宝島』読んでました!」なんて言われたら、「おぉ、友よ!」と抱きついてしまう(笑)。
加藤 僕もわかります(笑)。なるほど、ブランドが、人と人との関係にブリッジをかけているんですね。
田端 ただ、かつてはわざわざシグナリングのために、高い時計や靴を買ったり、バッグを持ったりしないといけなかったけれど、最近は、ソーシャルメディアのおかげで、もっと低コストに、なおかつ深いところでシグナリングしあえるようになったんですよ。
山口 僕は仕事で若者分析を行うことが多いので、その変化を日々実感しています。若者が承認欲求を持っているというのは今も昔も変わっていないんですけど、以前と比べて若者は全然物を買わなくなっている。昔は、物財の共通性、つまり「お前も俺も同じものを持ってる」という共通認識で承認欲求を満たしていたけど、今はそうではないから。
田端 ソーシャルメディアで事足りますからね。
山口 そうそう。自分の頭の中のコンテンツを吐き出すメディア、共有できるメディアができたことで、それによるシグナリングで共通項が高い方がより深い仲に結びつくようになっているんです。
田端 厳しい言い方をすれば、そういう時代になってもブランド品でのシグナリングに頼っている人は、情弱なのではないかとすら思います。
『VOGUE』のアナ・ウィンターが毎日美容師に髪の毛をカットさせる理由
川上 そういう意味では、今の時代にメディアとかブランドのアウラをまとうのは、究極的には個人にしかできないっていう思いもあるんですよね。
田端 それは、僕も思います。Appleにおけるスティーブ・ジョブズみたいに、現人神みたいな人間が体現しない限り、ブランドはただのロゴになってしまう。
『VOGUE』の名物編集長、アナ・ウィンターっていますよね。
川上 『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のモデルになったと言われている人ですね。
田端 そうそう。彼女のトレードマークは綺麗に揃えられたボブカットなんですが、あれを保つために、会社に毎日美容師が来て彼女の髪を切っているそうなんですよ。
加藤 ええっ! 毎日ですか!?
田端 しかも、会社の経費で! あと、彼女は出張先ではその土地の一番良いホテルに泊まらないといけない。これらは「権利」じゃなくて「義務」なんです。「編集長の髪型に一ミリも乱れはないか」「編集長がどこに泊まっているのか」、ということも含めてメディアのブランドとしてのクオリティだから。
加藤 すべてはアウラを保つためなんですね。すごいなあ。
田端 正直論理では説明できない領域ですよ。実際、『VOGUE』の出版元のコンデナスト・インターナショナルの会長のジョナサン・ニューハウスに「メディアのクオリティの定義を教えてくれ」と尋ねたら、「It’s a great question(痛いところついてくるね)」 って言われましたし(笑)。半分はぐらかされたとも思ったけど、半分一理ある答えだなと感じました。定義なんて、そもそもできないんですよね。
山口 メディアって無形ですからね。だから、有形な編集長が一つの見本となる。
田端 そうなんです。編集長は生身の人間だけど、メディアの象徴として全責任を背負って現れるという、ものすごくしんどいことをやり続けないといけない。
加藤 そういう意味で、『VOGUE』のアナ・ウィンターの進退は会社にとっては死活問題ですね。
山口 逆に、今の日本のメディアは、その現人神的な存在がいなくなって困っています。
田端 今の日本の雑誌で編集長が変わっても、多分、ほとんどの人は気づかないでしょうね。『BRUTUS』の西田善太編集長のような例外を除いて、「この人が編集長じゃなくなったら絶対に気付く」と言えるような雑誌の作り方をしている人は少ない。
加藤 むしろ、そういう作り方を許容している出版社自体が少ないんでしょうね。
田端 これは雑誌にとって危険なことですよ。
加藤 危険、ですか。
田端 だって、編集長が変わったことに気づかれない雑誌って、紙である必要がないでしょう。『ぴあ』が真っ先にネットにやられて、コモディティ化の沼に引きずり込まれてしまったのは、必然だったとも言えます。
加藤 なるほど。アウラがないメディアは代替可能なんですね。
田端 まあ、アウラの持ち主というのは、別に編集長である必要はありません。編集長だけでなく、メディアやブランドにかかわるいろいろなポジションに、どれだけ「アウラ」を身にまとった人間を連れてこられるかが重要。
加藤 まるで政治の駆け引きですね。
田端 というか、政治ゲームそのものです。ファッションの分野なんかは特にそうじゃないかと思いますね。客観的に「良さ」「品質」が定義できない。だから、誰がどれだけ良いものを作ったかではなくて、それを「誰が褒めたか」が重視される。もちろん最低限のレベルをクリアしているのは大前提ですけど。
山口 アートの世界もそれに近いですね。
田端 そういえば、村上隆さんが「純朴に良い絵を書けば認められるって言ってるヤツはバカだ」と語っていましたね。アウラを操って生き残るには、ある種のパワーゲームにどうやって乗っかって、そのルールの中でどう動くかを考えなきゃいけないんです。