一般的に「食べ物の好き嫌いは良くない」とされている。
親は子どもに「好き嫌いをせずに食べること」を望みがちだし、教育の現場では長年「残さず食べること」を義務づけがちだったと思うし、時代が変わって近年では義務づけるまではいかなくなってるようだけど「食べられるところまでは頑張って食べてみよう!!」と、一口でも多く食べさせようとする大人が多いのは相変わらずなんじゃないかと思う。
SNSでは、ピーマンが苦手な我が子に何とかピーマンを食べさせようと、姿が見えないようにして料理に紛れ込ませるなど、工夫を凝らしてまで食べさせようとする母親をよく見かける。
私は、そんな世論や、頑張る母親を見かけるたびに「謎だ」と思い続けてきた。
何のために嫌いな食べ物を食べさせる必要があるのか、シンプルによく分からない。「え、別に食べられなくても良くない?」「そこまでして食べさせる必要性が、どこにあるの?」と、ずっと不思議に思っている。
ピーマンやニンジンである必要はない
だって、基本的に、その食材でしか摂れない栄養素など無いし、仮にあったとして、それは人体にとって必要不可欠なものでは無い。「これだけは定期的に食べないと、人は生きていけないのです」という食材など存在しない。
栄養というのは大まかにバランス良く摂取できていれば問題ないわけで、そこにピーマンやニンジンは必須ではない。ビタミン・ミネラル・鉄分・食物繊維・脂質・糖質・タンパク質とかを満遍なくチャージするにあたって、どの食材をチョイスするかはお好みでよくて、ピーマンを食べることにするかどうかは個人の趣味でしかない。
みじん切りにして味の強い料理の中に混ぜ込むなど、そんな騙し討ちみたいなことをしなくたって、好みの味がする食材から必要な栄養を摂取していくだけでも、人は十分に成長できるし健康を維持していける。
そもそも、嫌いなものを頑張って食べる習慣など持たせるべきじゃ無いとも思う。そんなの危ない。「嫌いだとしても頑張って食べましょう!」という教育は、大問題に思える。
だって「イヤなものは受け付けない、嫌いなものは受け入れない!」というスタンスは、人が健康的に生きていく上で、むしろ必要なものだ。
心を病んだり体を壊したりしないために、イヤなものや変なものを避けて通る発想を持つことは重要だし、それは人としての強さであり自分を守る力だ。苦痛に耐える習慣なんて完全に危ない。
「まずくても頑張って食べましょう」「あともう一口だけでも頑張ってみよう」「一口食べられたんだから、あともう一口もイケるんじゃないかな?!」なんて変な教育をするから、それを真に受けて育った子どもが、大人になった時にブラック企業の沼にハマってしまうんじゃないかと思う。
嫌いなものを我慢して取り入れる必要なんて、人生において、一瞬たりともない。
ストレスを甘くみすぎている
そもそも、多くの人は「ストレス物質」のことを軽視しすぎている。ストレス物質は人体にとって最も有害な猛毒であり、これほどの脅威はないと私は思っているのだけど、嫌いなものを頑張って食べる時、人は確実にストレスを感じる。つまり体内にはストレス物質が放出されている。
そうなってくると、仮にそれがどんなに栄養価が高い食材であろうと、嫌いな味を頑張って飲み下す行為なんてのは、人体にとってプラマイゼロどころかマイナスが出まくりであり、有害さが勝ってる。食べる価値が無いどころか、むしろダメージ。私はそう思う。
そして、この感覚を理解できない人は、もれなくストレスを甘く見すぎているように思う。ストレスは、化学調味料や添加物や農薬なんかより、よっっっぽど体に悪いし実害があるのに。
ちなみに、私がこれほどまでにストレスを脅威と感じるようになったのは中学生の頃のことで、キッカケは、ストレスにまつわるマウスの実験の話を聞いたことだった。
うろ覚えなのだけど、確かそれは「生き物にとって、ストレスホルモンがどれくらい有害なものなのか?」を調べるための実験で、マウスに、ストレスを感じている人(確か怒っている人だったような気がする)の唾液を定期的に摂取させて経過を観察したところ、数日目で死んでしまった、という話だった。
私はその話を聞いた時に衝撃を受けて、でも確かに、振り返ってみると身に覚えがたくさんあったから(当時の私は病弱で、複数の慢性的な体調不良を抱えていた上に、とくに強いストレスを感じるような出来事があった日には急病を発症し、救急車を呼びがちだった)「そんな気はしていたけど、やっぱりストレスってヤバいんだな…!できる限り避けて生きていく必要がある…!」と深く納得し、そこからの生き方を大きく変えた一件だった。
あれから15年以上の月日が過ぎたけれど、あの日以来、病気になって体を壊す人を見かけるたびに「やっぱりそうなんだな」と思うところがあり過ぎて、年を重ねるほどに「ストレス猛毒説」が証明されているような感覚がある。