九螺ささら「きえもの」

九螺ささら「きえもの」【きくらげ】

ホテルのベッドで、恩田さんは補聴器を外した。
わたしは、夜に更にカーテンが下ろされたように感じて大胆になった。
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 ひらりらと音は舞い降り木に止まり羽根を広げてきくらげになる


 恩田さんが補聴器をつけていることに気づいたのは夏だった。それまで、長髪である彼をおしゃれな人だと感じていたが、暑いからか髪を後ろに束ねてゴムで縛ったために露出した耳に補聴器を見つけたとき、急に痛々しくなり正視できなくなった。

 誘われたのはその夜だった。

 ホテルのベッドで、恩田さんは補聴器を外した。わたしは、夜に更にカーテンが下ろされたように感じて大胆になった。

 恩田さんが故郷に帰ると知ったのは秋の初めだった。わたしが始まりと感じたことは、恩田さんの別れの儀式だったのだ。

「一緒に行かせてもらえませんか?」

 わたしは申し出た。


 恩田さんの故郷は和歌山で、実家の生業は林業だった。

「樹木医になる」と彼は言う。

「耳たぶで、木が吸い上げる水音を聴くんだ」

 わたしは彼の実家に居場所がなかった。だから彼に付いていった。彼は実家の持ち山に入っていき、木の幹に耳たぶを押しあてた。そのたび、彼の耳たぶは増えていった。木耳(きくらげ)の胞子が耳たぶに付着し、木耳と彼の耳たぶが同化してゆくのだ。

 年が明ける前に、彼の耳たぶはアコーディオンの蛇腹のごとくびらびらになった。

 彼の実家の持ち山の木の幹には、彼の耳たぶが増えていった。それらはこぞって耳をそばだて、空の波音を聞いている。



 木耳は神の耳たぶ木霊たちは漂い来ては囁きを漏らす



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新潮社
2018-11-16

この連載について

初回を読む
九螺ささら「きえもの」

九螺ささら /新潮社yom yom編集部

初の著書『神様の住所』がBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した歌人・九螺ささらによる、短歌と散文が響き合う不思議な読み物。電子雑誌「yomyom」に連載中の人気連載を出張公開!

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