性同一性障害を救った医師の物語⑥
前回からのあらすじ初めての除睾手術に挑んだ耕治に、ニューハーフのAさんは完全な性転換手術を依頼する。多くの人の手を借り、複数の術式を参考にして手術は行われた。Aさんは無事に性転換手術を終えたのだった。
手作りシリコンプレート
しだいにSRS(性転換手術)の研究に熱心になっていく耕治であったが、しかしまだ表向きは一般的な美容形成外科の勤務医でしかない。全国の勤務先で通常の美容整形をこなす中で、 彼はその技術も向上させてゆく。 そういった現場では、当然ながら女性の顔をより美しくするための手術が主体になる。むろん、ニューハーフの人たちにも施してはいたが、女性客が主である職場の都合上、その延長でこなすぐらいの気持ちでしかなかった。
一九九四年にAさんの性転換手術をしてから、耕治は冗談酒場にまた時折顔を出すようになった。 当時、彼が定宿にしていたのは、梅田のビジネスホテルだった。その年の秋、以前冗談酒場に在籍していたNさんが今は梅田のJ&Bという店にいると聞き、ある日そのJ&Bに出向くことにしたのである。 Nさんに会うのは、およそ一年半ぶりだった。Nさんは耕治に会うなり「ちょうどいいところに来た、先生にぜひ会わせたいコがいるのよ」と、その店のHさん(その後チーママになる)のことをすごい整形マニアだと耕治に紹介したのだった。
冗談と思っていたら、確かに色々とやっており、おっぱいは良いデキでしたが、目鼻はちょっと引くくらいわざとらしさがあって、Hさんはなかなかうまくいかないのよ、どうしたらいいの? と真剣に相談してきました。
耕治は色々と提案した。近日中に彼が週二〜三回勤務していた梅田のSクリニックに来てもらって、全顔のやり直し整形をすることになった。 決めたプランはまず経鼻挿管の全身麻酔で下顎の手術を済ませ、経口挿管に入れ替えて目の切開、鼻の骨切り、最後に額のプロテーゼ挿入というものだった。しかし当時、額のプロテーゼは日本の「高研」が作らなくなってから良い品が入手できない状況だった。それなら仕方ないと、耕治はシリコンプレートの原板から薄切りして手作りすることにしたのである。
血流を良くするためプレートにたくさん小孔を開けるのですが、思いのほか良くできたので記念に小孔で自分のイニシャルを刻んだのを覚えています。 ただ額のプロテは数年経つとやはり組織の血流の低下からプロテ上の皮膚筋肉が薄くなり、浮動しやすくなるので、Hさんの場合も五、六年後には抜去して、今は別の方法で額の丸みを作っています。鼻はその後も何回か修正しましたが、その時は一応全部う まく行き、すっかり顔が美しく変貌し、信頼を得ることができました。
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