歴史的大津波が工場と100万個の缶詰を飲み込んだ

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

 2011年3月11日。宮城県石巻市は、暦の上では春とはいえ、まだまだ寒かった。天気は曇り。早朝の気温は、氷点下だった。

 天候は冷えていたが、木の屋の社内は活気と温かい笑顔に満ちあふれていた。それまでの数年間は、リーマンショックのダメージや若い世代中心の魚離れなどもあり、水産物加工業界にとって厳しい時代が続いていたが、木の屋は、時代に逆行するかのように年々売り上げを伸ばしていた。その理由は、遡ること13年前の1998年、生き残りを図るために採用したフレッシュパック製法だった。

 それは、漁港で獲れた新鮮な魚を、刺身でも食べられる鮮度のまま缶詰にする製法。世界三大漁場の1つと呼ばれる、豊かな三陸の海の魚のクォリティが高いこともあり、木の屋の缶詰は、スーパーで売られている缶詰とはレベルが違うと、2009年頃からグルメ雑誌などでも評判になった。サバを筆頭に、イワシ、サンマなどの缶詰がヒット商品となり、順調に売り上げを伸ばしていた。その勢いは国内に留まらず、2010年には、海外にも視野を広げ、中国の富裕層をターゲットにしたPRと販路の拡大にも着手していた。

 世の中の健康志向もフレッシュパック製法による缶詰が人気の理由だった。なにしろ原材料名表示がシンプル。「金華さば水煮」缶は「サバ、食塩」のみ。「金華さば味噌煮」缶は「サバ、味噌、砂糖、でん粉、食塩」のみ。ちなみに味噌は、地元のこだわり白味噌で、粗糖は喜界島産を使用。添加物を使わず、良質な素材をそのまま詰めた物とわかる。

 前日の3月10日、木の屋の名前が一気に全国区になると期待させるニュースが飛び込んで来ていた。「笑点」にも出演の人気落語家・春風亭昇太さんが、あるテレビ番組にゲスト出演をした際、木の屋の缶詰をスタジオに持ち込み、その魅力を語ったという情報だった。実は昇太さんは、芸能界きっての缶詰好きで、あらゆる地方の缶詰に詳しいのだ。

 売り上げを伸ばしているとはいえ、木の屋の知名度は、大手メーカーに比べると足元にも及ばない。だからこそ、全国区のテレビ番組で人気者に紹介してもらえるチャンスは大きく、社内の温度は上がっていた。

「なんだかスゴイことになってきました! 正直に美味しい物を作っていると、いいことがあるんですねー!」電話口で私にそう言った鈴木さんの声を覚えている。

 が、そんな日の翌日、午後2時46分。突然、木の屋の本社と工場を、かつて経験したことのない揺れが襲う。最初は、下から突き上げるような縦揺れ。すぐにものすごい横揺れへと変わった。誰も立っていることができず、柱や壁がきしみ、時計が止まる。

 鈴木さんは、大阪の社員2名と打ち合わせをしていた。商品開発の松友さんは、中国の研修生たちと一緒にいた。

「全社員、すぐに高台に避難するように! ここからだと牧山が近い!」

 木村社長の声が響き、すぐに社員は仕事を置いて避難体制に入る。

 作家・吉村昭の『三陸海岸大津波』(文春文庫)などに詳しいが、三陸地方には、昔から津波の悲惨な歴史があり、近代以降も、明治29年、昭和8年、35年と、大津波に襲われ多大な犠牲者を出している。

 社員たちが各々、通勤用の車に乗り発車した。が、木の屋の本社と工場があった石巻市の魚町地区は、漁港に隣接し水産加工会社が建ち並ぶ、昼間人口の多い地域だったため、道路は見渡す限り車でいっぱいの大渋滞となった。

 揺れから17分後に大津波警報が一帯に鳴り響くと、避難する人々の表情に大きな不安の色が浮かびはじめた。そして、車は思ったように動かない。

 松友さんは、たまたま空いている裏道に入ることができ、中国の研修生たちを乗せて、社長が指示した牧山にたどり着いた。市民公園もある憩いの場である。

 大阪の社員2名を車に乗せた鈴木さんは、渋滞に捕まったため、車を乗り捨て、歩いて避難することにした。たまたま、牧山に向かう途中にある湊中学の校庭前に差しかかった時に、普段は閉鎖されている校庭の裏門が開き、先生が「今から避難所にしますので!」と叫ぶのを見て、ここに避難することに決めた。

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この連載について

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蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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