村上春樹の読み方『ダンス・ダンス・ダンス』中編

村上春樹の読み方『ダンス・ダンス・ダンス』編、前回は周辺情報により村上春樹が何を意図して本作を描いたのかに迫りました。今回は村上春樹が今作で使ったシンクロニシティーという手法や、作品の構造から作品を読み解きます。そこには1988年、バブル景気に沸く日本の姿が浮かび上がります。

名前が付けられた意味


ダンス・ダンス・ダンス 下 (講談社文庫)

 具体的に村上春樹が本作に採用したシンクロニシティーの初期の反映として『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社文庫)を見ると、複数の短編小説をシンクロニシティーによってあたかも糊付けしたような構成になっていることがわかる。別側面から言えば、この作品は初期三部作のような入れ子(メタメッセージ)構造は採っていない。入れ子構造というのは、作品の主要部と見える部分を暗喩として包むために別の上位の物語を設定することである。

 メタメッセージによる構成から、シンクロニシティーによる構成への転換による差違について、著者・村上春樹は読者を困惑させないように配慮している。なかでも第一章に登場する、セックスフレンドへの言及では、「文学的なメタメッセージ(上位メッセージ)が存在しないことのメタメッセージ」という弁明さえ含まれている。

 時々、女が僕の部屋に泊まりにきた。そして朝食を一緒に食べ、会社に出勤していった。彼女にもやはり名前はない。でも彼女に名前がないのは、ただ単に彼女がこの物語の主要人物ではないからだ。彼女はすぐにその存在を消してしまう。だから混乱を避けるために僕は彼女に名前を与えない。しかしだからといって、僕が彼女の存在を軽んじていると考えてほしくない。僕は彼女のことがとても好きだったし、いなくなってしまった今でもその気持ちは変わらない。


 この弁明が加えられなければ、『ダンス・ダンス・ダンス』は『羊をめぐる冒険』(講談社文庫)の入れ子構造のように読まれる懸念が村上春樹にはあったはずだ。同時にこの弁明は、『羊をめぐる冒険』が入れ子構造であったことを後の作品で作者自ら解説しているに等しい。つまり『羊をめぐる冒険』で女性に名前を与えなかったのは、それが入れ子構造において物語の主要人物であったということを示している。入れ子構造のために、固有性で繋がりやすい名前を排していた。

 名前を与えないことから名前を与えることへの転換は、この作品を初期三部作から遠ざける理由にもなる。この作品では、高級娼婦には「キキ」、13歳で超能力を持つ少女には「ユキ」、暴虐な影を抱えて生きる友だちには「五反田君」といった固有の名前がそれぞれ与えられ、入れ子構造に必要な暗喩としての連携が薄らいでいる。なお、これらの名前にどのような背景があるのかは表層的にはわからないが、ユキの父親で、凡庸であるが有力な作家「牧村拓(MAKIMURA HIRAKU)」は、その音の響きからすぐ推察できるように「村上春樹(MURAKAMI HARUKI)」のアナグラムであることは興味深い。これはちょっとしたパズルではあるが、初期作品のように作品の構造に関連した意味合いはなく、文学的なイタズラといった程度である。他の固有名詞も作品読解にはさほど影響がないと見られる。

短編を糊付けされたような物語

 短編のような話を系列的に糊付けして構成されているこの作品は、具体的には三つの短編系列から成立している。

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