たった一度だけ、モデルをやったことがある。ただしSMモデルだ。
AVビデオをつくる会社でアルバイトを始めて
別に志願してなったのではなく、ほんの成り行きだった。二十歳を少し越えたくらいだっただろうか、事務職としてアルバイト入社したのが、AVビデオを作成する会社だったのだ。仕事は地味なもので、DM作成、電話応対、接客の他、SMシーンが出てくるテレビ番組を録画し、注釈や解説をつける、などである。
例えば、「『みちのく特急捜査官(2時間サスペンス)』。主演女優の×××が誘拐される。ロープで胴体と手首足首を縛られ、倉庫に放置。タイトなミニスカートに開襟シャツ。胸元チラリ」とか「『南町奉行あばれ桜(時代劇)』。女優の×××、△△△、他数名、白装束にて芋ずる連行。縛られたまま地面に正座させられ、お白洲。せっかんあり」等々、簡潔にメモするのだ(※番組タイトルは私の創作です)。
こういったささやかなエロに欲情する人もいるのだな、と感心しながら私はひたすらドラマや映画をチェックした。当時はYouTubeや無料動画サイトがなかったから、タイトルや監督や出演者であたりをつけて録画する。昼間たまたま観ていた番組でそれっぽい展開になることもあるから、油断はできない。「あ、そろそろレイプシーンかも」とか「この人たぶん、監禁されるよね」など、物語の先を読む癖は、この頃に培われたと思われる。
正直うれしかった
生まれてこのかた、美人だセクシーだともてはやされたこともなく、ましてやモテた経験もない。女性として、特に性に関しては完全なる裏方だと割り切って過ごしてきた。そんな私がいきなり社長に、「人手が足りないから、おまえモデルやれ」と命令されたのだ。はぁ? である。
当然断ったのだが、社長はなかなか引き下がらない。面倒くさいので、最終的には私が折れた。いや、違う。渋々承諾するふりして、正直私はうれしかったのだ。だってモデルだよ。需要がありそうだから私に声がかかったのか、とチラっとでも思うでしょう。モデル=美人、セクシー、ナイスバディ、ってイメージもあるし、裏方人生だとあきらめきっていた私に一条の光が差し込んだと信じてしまったのだ。
モデル、タレント、女優、等々。ルックスを惜しみなくさらけ出す仕事は、当事者の自尊心をくすぐる。美しい人がその美しさを磨き上げ保ち続けるのは、素質だけにとどまらない。過酷な努力を強いられるとわかってはいても、そういった職業=持って生まれた美の才能に憧れない人はいないと思う。勿論、見た目だけに限らず天賦の才を持ち合わせた人はいる。頭脳や技術やセンス、世の中には数多の才があるけれど、見た目のインパクトほど直接的ではない。持って生まれた美は、人々を平伏せ、羨望させるのに余りある。
しつこいようだが、私は生まれてこのかたルックスについて誉められたことはない。まぁ、「巨乳」と言われたことはあるが、誉め言葉かどうかもあやしいし、胸などいくらでも盛れる。モデルの打診をされた私は、「ブスの癖に天狗になりやがって」と、自己を戒めつつも浮かれた。私でもモデルになれるんだ。しかも社長直々にスカウト(?)されちゃった。どんな服を着て、どんな格好をするんだろう。私は、自分が勤めている会社が何であるか、一瞬忘れた。
セーラー服を手にしばし唖然
「セーラー服に着替えて。あ、顔には猿轡をするからな」
自社スタジオで社長がこともなげに言い、セーラー服を投げてよこす。どう考えてもサイズの小さいセーラー服を手に、私はしばし唖然とした。早く着替えろ、と社長が促すので、ついたての向こう側で支度をする。タイを結びながら、私の頭の中には「猿轡」という単語がぐるぐる回っていた。
「社長。猿轡ってかませですか? かぶせですか?」
臍が見えそうなセーラー服を身にまとい、カメラを構えた(社長はカメラマンも兼任していた)社長に問う。ちなみに「猿轡かませ」とは手拭いなどをひも状にねじり、歯で噛ませてから頭の後ろで縛るやりかたで、「猿轡かぶせ」とは手拭いなどで顔全体を覆って頭の後ろで縛るやりかただ。「猿轡かませ」は顔のほとんどが見えるが、「猿轡かぶせ」はほぼ目しか見えない。二十歳ちょい過ぎの娘っ子がこんなこと覚えなくていいのに、知識として植えつけられてしまった。しかも、本物のセーラー服ではなく、いかにも安物でペラッペラなエロ用の服を着せられて、何がモデルだよ。さすがに後悔し始めたのだが、今更雇用主には逆らえない。
「かぶせに決まってるだろ」
社長の冷たい一言。予期していたとはいえ、私は冷水をかぶったように悲しくなった。
「それって、顔はほとんど見えませんよね」
聞かなくてもいいことを、私は聞いた。
「顔が見える必要はないだろう」
そうか。SMのモデルなんて、女王様以外はどうでもいいのだ。女という記号さえあればいいのだ。私でなくても、誰でもよかったのだ。
人は皆、アイデンティティを誰かに認めてもらいたい。外側から確固たる自分を認められることで、自信がつくし、人生に意味だって見出せる。親から可愛がられたり、先生から激励されたり、友人知人からもてはやされたり、片思いの相手に振り向いてもらえたり。自分というものを、自分以外の誰かに認められるだけで、自分が愛おしくなる。
悲しいかな、私は親にも先生からも一目置かれたことはなく、いつもみそっかすな存在だった。人生裏方だとあきらめていても、やはり光には憧れる。社長から指示されたモデルの仕事が、私には正真正銘の光だった。
ああ、それなのに。私の顔は要らないなんて。私には性という役割しか与えられない。性だけって、役割があるんだからいいじゃん、と自分をなぐさめてみても、悲しさは倍増されるばかりだ。
まるで別人だった
「顔は、見えなくてもいいんですか」
照明の下に立ち、ぼそぼそつぶやく私に、社長が「猿轡かぶせ」をした。逆三角形の手拭いで隠された、私の顔。傍らに立てかけてあった姿見に映る私は、まるで別人だった。胴体と手首を縛られ、セーラー服を着た、おかっぱ頭の少女。二十歳過ぎていたのに、十代に見えた。顔を隠せば、ブスも隠せる。そうか、見方を変えれば、顔を隠したことで私は妄想で美人になれるってことだ。ひらきなおった私に、社長が言った。
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