プロローグ~異臭を放つ物体

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

 2011年4月、東京・世田谷区経堂の閑静な住宅街を、異様な雰囲気を発散させながら1台の白いバンが走っていた。車体に点在する光った黒い汚れが重油のようで、バンパーやフェンダーには、べったりと、まるで戦争映画に出てくるジープのように泥が張り付いている。

 車は、1軒の飲み屋の前に停車。運転していた青い作業服姿の男性がトランクを開け、鮮魚用の発泡スチロールケースを次々に降ろしていく。

 ドスッ、ガチャッ、ドスッ、ガチャッ、ドスッ、ガチャッ。

 ケースが着地して周辺に軽い金属音が響き渡ると、それが合図であるかのように店の中からマスクに軍手姿の人が10名ほど飛び出てきた。

 ケースに詰まっていたのは、重油と腐った魚が混じったような臭いの、ドス黒い円形の物体だった。

「鼻が曲がりそうです」

「こんな汚れ、洗剤で落ちるんですか?」

 みんな、それを洗うために集まっているようだが、怖じ気づいている人もいる。

「まあ、とにかく洗ってみましょう!」

 青い作業服の男性だけは明るく、お湯のたっぷり入ったバケツにそれをどんどん放り込んでいく。続いて、防水用の軍手をはめ、洗剤を付けた亀の子タワシでゴシゴシこすりはじめると、みんな、それにならって洗いはじめた。

 が、粘っこくへばり付いた黒い泥は、そう簡単には落ちなかった。

 2、3分すると、人々の表情に微妙な焦りの色が浮かんできた。

「なかなか手強い……」

「これは普通の泥じゃないですね」

 何人かが弱音を吐きはじめた時、作業服の男性が、大きな声をあげた。

「おっ、きましたよ! そろそろ!」

 男性の手元を見ると、黒い物体の金属が見えてきている。

「はい、1つ、洗い終わりました!」

 男性が右手で宙にかざすと、それは、青空をバックに美しく輝いた。

 ラベルのない金色の缶詰だった。

 続いて、「わたしも洗えた!」という声がすると、 店頭のあちこちで、「洗えた」「わたしも」と、缶詰が宙にかざされた。

 缶詰を持つみんなの表情には、達成感が浮かんでいた。

 この缶詰は、2011年3月11日の東日本大震災による津波で流された、宮城県石巻市の缶詰工場の跡地から掘り出された物。作業服姿の男性は被災を生き延びた社員で、集まっているのは、地元商店街の人たちだった。

「わー、何か書いてある!」

 女性の声が響いた。

 彼女が持つ缶詰の裏面には、こんな言葉があった。

「出会いに感謝します」

 すべての奇跡は、泥まみれの缶詰を洗うところからはじまった。


次回「100万缶を飲み込んだ津波」は2/8(金)公開予定!



過酷な震災にも希望を忘れなかった人々と、手と心を差し出した人情商店街の感動の物語

この連載について

蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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yorimichi cakesで須田泰成さんの、あの東日本震災の時のサバ缶の話の連載が始まった。 https://t.co/6glzpPWMyS 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

kouchansamasama 面白そうやんけ 異臭を放つ物体 https://t.co/ZG8lP6Kpgn #スマートニュース 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

kuronekoya_y 異臭を放つ物体 #SmartNews これと同じものを現地の方にお礼にいただいたんだけどいまだもったいなくて開けずに保存してる。 https://t.co/d5pIZPMHIN 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

98manmaru 異臭を放つ物体 https://t.co/Ta5HLUSS5v #スマートニュース 約2ヶ月前 replyretweetfavorite