もうわいは佐渡島のもんだ」海に挑む時ー5

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 船が小木港に近づくと、浜に炎が揺らめいているのが見えた。

 —あれは焚火か。

 人が見えるほど近くなると、焚火を囲んでいた人々の中から、孫四郎らしき人影が桟橋に向かって走り出した。残る人々もそれに続く。

 先に便りを送っていたので、清九郎や孫四郎たちは小木港まで迎えに来てくれたのだ。

「おーい!」

 双方、声を限りに呼び合った。

「ぼんは、この島に溶け込んでいるようですね」

 傍らの磯平が言う。

「ああ、もうわいは佐渡島のもんだ」

 弥八郎は、佐渡島に戻ってこられたことが心底うれしかった。

 やがて船が着き、互いに再会を喜び合った後、弥八郎は塩飽から連れてきた者たちを紹介した。

 満面に笑みを浮かべた清九郎は、一人ひとりの手を取り、「よう来てくれた」と言っては頭を下げていた。

 皆は小木港から浜沿いの道を歩き、宿根木に向かった。

 宿根木の作事場には、すでに雛型が大机の上に据えられ、多くの差図や木割が並べられていた。

 —いよいよ始まるんだな。

 あらためて市蔵と造った雛型を見ていると、万感迫るものがあった。

 —市蔵さんの夢が、いよいよ叶うんだ。

 清九郎が皆を前にして言う。

「塩飽の衆が来てくれたおかげで、いよいよ船造りに取り掛かれる。今から掛かれば、冬の佐渡の海で試し走りができるはずだ。では、これから船造りのさいもく(日程)を詰めていく。その前に—」

 清九郎に手招きされ、弥八郎が横に並ぶ。

「此度の船は弥八郎の差配で造ることになった。わいは人や材料の手配などの裏方に回る。皆は弥八郎の指示に従ってほしい」

「へい」と皆が声を合わせる。

「弥八郎、一言頼む」

 清九郎に促され、弥八郎が前に出る。

「皆、見ての通り、わいは若輩者だ。これから造る船が大工頭としての初めての船になる。だが、この雛型の通りに造れば必ずうまくいく。この雛型は、塩飽の衆ならよく知る市蔵さんが考えたものだ。わいはこの船に命を懸ける。皆も性根を据えて掛かってくれ」

「おう!」

「よし、では仕事の分担を決めよう」

 差図と木割を前にして、皆の仕事の振り分けが始まった。

 その夜は歓迎の宴になった。佐渡と塩飽の双方の大工たちが自己紹介しながら、互いの盃を満たしていく。その光景を見ながら、弥八郎は「よくぞここまで来たな」という感慨に浸っていた。

「お疲れ様です」

「なんだ、孫四郎か」

 弥八郎の盃に徳利から酒が注がれる。

「弥八郎さんがため息とは珍しい」

 孫四郎がにやりとする。

「えっ、わいがいつため息をついた」

「今の今です」

「そうか。わいだって、ため息ぐらいつく」

「塩飽では、いろいろご苦労なされたようですね」

 今度は、弥八郎が孫四郎の盃を満たす。

「よく知っているな」

「先ほど、甚六さんから聞きました」

「もう甚六と親しくなったのかい」

「ええ、年も近いので、すぐに打ち解けました」

 孫四郎は相変わらず気が利く。二つの組が合体して仕事をする場合、双方の架け橋となる人材が必要になる。それを先んじて察した孫四郎は、きさくな甚六に目を付けて声を掛けたのだ。

 —こうしたもんがいるといないでは違う。

 弥八郎は心中、孫四郎に感謝した。

「お前さんは大工よりも商人向きだな」

「ええ、棟梁にも、よくそう言われます」

 棟梁とは父親の清九郎のことだ。

「でも、ここの仕事は継がなくちゃな」

 少し考えてから孫四郎が言った。

「先のことは分かりませんよ」

「それもそうだ」

 —確かに先のことなど、誰にも分からねえ。

 それは、弥八郎にも当てはまることだ。

「此度は、うまくいきますかね」

 孫四郎が不安げな顔で問う。

「必ずうまくいく」

 立場上、ここで弱気な姿勢を見せるわけにはいかない。

「それにしても弥八郎さんが、これほどの隠し札を持っていたとは驚きです」

「しかし出し時を考えていたら、なかなか出せなくなった。それを七兵衛さんが救ってくれたってわけさ」

「そうでしたね。皆が気落ちしている時だったので、最高の出し時でした」

「ああ、そうだな」

 弥八郎は七兵衛の配慮に頭の下がる思いだった。

「でも弥八郎さん、過信は禁物だ。佐渡の海は甘くない」

「そいつは分かっている」

「実際に佐渡の大時化に出遭ってみないと、ここの海の恐ろしさは骨身にしみませんよ」

「知ったかぶるな」

「待って下さいよ」

 孫四郎の眼差しが真剣味を帯びる。

「わたしは弥八郎さんよりも、はるかに若輩者です。でも生まれてこの方、ここに住んでいます。ここの海の恐ろしさを十分に知っているんです」

「だからといって、海を恐れていたら何もできねえ」

「それはそうです。いつの日か、冬の佐渡でも平気で行き来できる千石船が造られるでしょう。しかし—」

 孫四郎は一拍置くと、思い切るように言った。

「あの雛型ですがね、あれでうまくいくかどうかは分かりません」

「どうしてだ。清九郎さんだって、『これで行ける』と言ってたじゃねえか」

 孫四郎が首を左右に振る。

「あの時、おとっつぁんは、あの雛型を信じたいという気持ちが強かったんです」

 弥八郎が強い口調で問う。

「それを清九郎さんは、お前に言ったのか」

「いいえ。でも、しばしば険しい顔で、あの雛型をにらんでいる時があります。弥八郎さんが塩飽に帰っている時も、一人で雛型とにらめっこしていましたからね」

 弥八郎の父の嘉右衛門も本心を容易に明かさない男だった。

 —職人とは本来そういうものだ。

 父の背を見て育った弥八郎にとって、孫四郎の言いたいことはよく分かる。だが、それをそんたくしても仕事は進まない。

「だからといって清九郎さんは、あの雛型では駄目だって言ってるわけじゃないだろう」

「ええ、その通りですが—」

「心配は要らない。わいを信じてくれ」

 弥八郎は己に言い聞かせるように言った。

「分かりました。われわれも腹をくくって掛かります。それで一つお願いがあるんですが—」

「何だよ」

「わたしを、弥八郎さんの手回りとして試し走りに連れていってくれませんか」

「何を言っているんだ。試し走りに乗る手入大工は、急場に備えて乗り組んでいる。半人前は乗せられねえ」

「やはり、駄目なんですね」

 孫四郎が肩を落とす。

「お前にも、そのうち機会が来る」

「でも、試し走りが終われば、船は河村屋さんに引き渡すんじゃないんですか」

「まあ、そういうことになる」

「では、その前にお願いします。できれば新潟行きの時にでも—」

 清九郎には、最後の試し走りは、越後国の新潟港を往復したいと告げていた。それを孫四郎は伝え聞いたに違いない。

「悪いが、此度はあきらめるんだな」

「そこを何とか—」

 孫四郎が必死の顔で訴える。

「これは遊びじゃねえんだ。しつこいぞ!」

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伊東潤
光文社
2018-10-17

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