今の仕事があるじゃねえか」海に挑む時ー2

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 六月、佐渡に向かう大工たちが牛島に集まってきた。嘉右衛門の作事場からも、丸尾重正の許しを得て、じんろくごんぞうという二人の若い大工が派遣されることになった。二人とも若いが腕は確かなので、嘉右衛門にとっては痛手だった。

 だが嘉右衛門は、重正のやることに文句を言える立場にない。ねるように自宅に引き籠っていると、作事場から人が駆け付け、船大工のぜんきちが倒れたと告げてきた。善吉は嘉右衛門より五歳ほど年下の大工で、若い頃から一緒に働いてきた仲である。

 慌てて善吉の家に駆け付けると、家族が泣き崩れていた。医家の話によると、脳に血を送っている脈が切れたらしく、もう意識が戻ることはないという。

 —お前まで逝っちまうのか。

 嘉右衛門は愕然とした。

 その時、善吉の妻から「権蔵を遠くにやらないで下さい」と言われ、権蔵が善吉の息子だということを思い出した。

 権蔵も母親たちに泣き付かれ、佐渡行きを半ばあきらめているようだった。

 権蔵の意思を確かめると、「致し方ないです」と答えたので、嘉右衛門は母親に「権蔵を行かせない」ことを約束した。

 嘉右衛門が舌足らずな言葉で母親と権蔵の妹たちを慰めていると、そこに弥八郎と磯平が駆け込んできた。どうやら善吉の異変を、磯平が弥八郎に伝えたらしい。

「ま、まさか善吉さんが—」

「なんてこった」

 二人は啞然として言葉もない。

「騒ぐな。表に出ろ」

 弥八郎を善吉の家に上がらせもせず、嘉右衛門は外に連れ出した。それを磯平がはらはらしながら見ている。

「見ての通りだ。先生によると、善吉が正気に戻ることはないという。いつまでかは分からないが、善吉はあのまま寝たきりだ」

 弥八郎が悄然とこうべを垂れる。

「今、内儀とも話し合ったんだが、こういうことになっちまったからには、権蔵を佐渡島に送ることはできねえ。本人も承知している」

 何かを言い掛けて、弥八郎が口をつぐんだ。

「丸尾屋の旦那には、わいの方から告げる」

 そこに家の中から権蔵が現れた。

「弥八郎さん、見ての通りだ。母や妹たちを置いて遠くに行くことはできねえ」

「ああ、分かった。当然のことだ」

「でも、わいの得意とするところは、誰が代わりにやるんだい」

 権蔵は磯平から直に「はり合わせ」や「摺合わせ」の技を伝授してもらったこともあり、この技術においては、嘉右衛門の作事場では磯平に次ぐ者となっていた。

「まだ何も考えていない」

 弥八郎の顔には落胆の色が漂っていた。「はり合わせ」や「摺合わせ」を権蔵に任せようと思っていたに違いない。もしかすると権蔵抜きでは、計画が頓挫することも考えられる。

 嘉右衛門の一部が囁く。

 —いい気味だ。権蔵を渡してはならないぞ。

 心の奥底で眠っていた嫉妬心が頭をもたげる。

 弥八郎が権蔵を説得するかもしれないと思った嘉右衛門は、ここで念押ししておこうと思った。

「弥八郎、権蔵のことはあきらめるんだぞ」

「そんなこと、おとっつぁんに言われなくても分かってらあ」

「じゃ、さっさと島から出ていけ」

「ああ、そうさせてもらう」

 弥八郎がきびすを返した時だった。

「ちょっと待って下さい」

 磯平である。

「ここには、権蔵が残るわけですね」

「ああ、聞いた通りだ」

「それじゃ、うちの作事場から誰かもう一人、行かせなければなりませんね」

「甚六だけでいい」と嘉右衛門が釘を刺す。

「でも、大船の『はり合わせ』や『摺合わせ』はとくに難しい。それに熟達した者でないとしくじります」

「何が言いたい」

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男たちの船出

伊東潤
光文社
2018-10-17

コルク

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