わいは勝負を懸けようと思う」若獅子の船 ー9

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 同年三月、佐渡海峡の時化も収まってきた頃、河村屋七兵衛が佐渡に乗り込んできた。

 七百五十石積み船の船卸が失敗したという話を事前に聞いているためか、七兵衛は逆に皆を元気付けるべく、差し入れの樽酒などが積み込まれた荷車を何台も連ね、満面に笑みを浮かべて小木港に姿を現した。

「七兵衛さん、お久しぶりです」

 途中まで迎えに出てきた弥八郎を見て、七兵衛が驚く。

「随分とたくましくなったな」

 七兵衛が弥八郎の背を思い切り叩く。

「佐渡で二冬も過ごしましたから」

「ああ、そうか。ここの冬は辛いというからな」

 七兵衛が高笑いする。

 七兵衛一行を先導するようにして宿根木に向かっていくと、清九郎をはじめとした一同が、風垣の前に居並んでいた。

「おう、みんな変わりなさそうだな」

 上機嫌な七兵衛によって、沈みがちだった大工たちの顔も、少し明るんだように感じられる。

 七兵衛が清九郎に近づいていった時である。突然、清九郎がその場に突っ伏した。

「申し訳ありません」

「おい、よせやい」

「いえ、河村屋さんが出してくれた金を無駄にしてしまいました。死んでお詫びしても足りないくらいです」

「まあ、いいから立ちなよ」

 七兵衛が清九郎を立たせようとするが、清九郎は地面に這いつくばって離れない。

「ご期待に沿えず、お詫びの申しようもありません。ただ何も償えないわしです。この命でよろしければ差し上げます」

「おい、誤解してもらっちゃ困るぜ」

 七兵衛が険しい声音で言う。

「清九郎さん、わいは金貸しじゃない。これは銭元の回し銭(投資)といって、お前さんには何の罪咎もない」

「はい。それは聞きましたが—」

 —回し銭の理屈を頭では理解していても、清九郎さんは気持ちとして整理がつかないんだ。

 弥八郎はその仕組みを何となく理解したが、むかし気質かたぎの清九郎の肚には、完全に落ちていないに違いない。

「一度くらいのしくじりなんて気にするな。何事も最初からうまくいくことなんてないんだ。失敗を重ねながら進んでいく。それが新しい何かを作り上げるってことじゃないのかい」

 七兵衛が皆に聞こえるように言う。

「さあ、みんなも胸を張ってくんな」

 大工たちが顔を上げる。

「それでいい。清九郎さんも立ってくれ」

 七兵衛が清九郎の片腕の脇に手を入れたので、弥八郎ももう一方を支えて、清九郎を立たせた。

「清九郎さん、また、やろうや」

「やらせていただけるものなら—」

「もう一度だけ挑んでみよう。もう一度なら、やれるだろう」

「はい。もちろんです」

「よし、こうなったら次は千石船だ!」

 七兵衛の言葉に、清九郎はもとより周囲が啞然とする。

「しかし河村屋さん、わしらは七百五十石積みの船さえ満足に浮かべられなかったんです。千石船なんて、あまりに大それたことです」

「いや、そうじゃないんだ」

 七兵衛が清九郎を制する。

「こうは考えられないか。七百五十石積みの船だからしくじったと—」

「どういうことです」

「七百五十石積みの船ならしくじっても、千石船ならうまくいくかもしれない」

 清九郎が首をかしげる。

「申し訳ありません。河村屋さんの言うことが、わしには分かりません」

「つまりだ。七百五十石積みの船だと、どうしても五百石積みの船を大きくしたものを考えてしまう。だが千石船なら、逆に何もかも忘れられるんじゃないのか」

 七兵衛の言う意味が理解できないのか、大工たちは互いに顔を見合わせている。

「いいか。お前らの知識も技術も、すべてを捨て去って考えるんだ」

「しかし河村屋さん、いただいた年限は二年で、すでに七百五十石積みの船造りに費やしてしまいました。今から差図や木割を作っていくとなると、二年から三年のとしつきはかかります」

「その通りだ。だが差図も木割も雛型も、すでにあると言ったらどうする」

 突然、胸の鼓動が速まる。

「よし、皆に見せてやれ」

 七兵衛が背後にいる従者たちに合図すると、荷車の一つが皆の前に引かれてきた。その上には覆いが掛けられ、何かが置かれている。

「取れ」という七兵衛の言葉と共に覆いが取り除けられると、市蔵と一緒に作った雛型が姿を現した。

「おおっ」というどよめきが巻き起こる。

 —勝負札というのは、ここ一番で使うもんだ。

 かつて七兵衛が言った言葉が思い出される。

 船大工たちが、吸い寄せられるように雛型の周囲に集まってきた。続いて七兵衛は、かつて市蔵の描いた差図や木割を広げた。

 皆は雛型や木割を前にして議論を始めたが、説明する者がいないためか、想像で物を言っている。

「河村屋さん」と清九郎が問う。

「こいつは、かなりできがいいもんです。しかし、この雛型を作った大工がいなければ、千石船を造ることは難しいのでは」

「その通りだ。だが、ここにいるじゃないか」

「えっ」と言って皆が周囲を見回す。

 しばらくの間、笑みを浮かべてその様子を見ていた七兵衛が、おもむろに言った。

「弥八郎、出番だ」

 皆が啞然とするのを尻目に、弥八郎が前に進み出た。

「まさか、お前がこれを作ったのか」

 清九郎が目を丸くする。

「はい。正確には、もう一人の大工が主となり、わいが手伝って作りました」

「そうだったのか」

 清九郎が黙り込む。何か思い当たる節でもあったのだろう。

「皆さん、僭越なのは承知の上です。しかしこの雛型も差図も木割も、わいが一人で考えたもんじゃありません。塩飽のある船大工が作ったものです」

 清九郎がすがるように問う。

「その船大工は連れてこられないのか」

「はい。すでにこの世にはいません」

「死んだのか」

「ええ。瀬戸内海で遭難しました。しかしその方の考えを、わいは正確に皆様方にお伝えすることができます」

 弥八郎は、気持ちが高揚してくるのを感じていた。

「聞いて下さい」と言いつつ、弥八郎が細部の仕様や工夫について説明を始めた。

 その途中でいくつも質問があったが、すでに塩飽で説明した時に出されたものばかりで、すらすらと答えられた。

 雛型を前にして半刻ほど、侃々諤々の議論が続いた。すでに日は中天に昇り、春まっさかりの佐渡島を暖かく包み込んでいた。

「後は、作事場の中でやろうや」

 頃合いを見計らい、七兵衛が皆に声を掛けた。

 それに応じて、一行は作事場へと向かった。

 雛型が作事場の大机の上に据えられると、七兵衛が言った。

「この雛型で、わいは勝負を懸けようと思う。皆はどう思う」

 年かさの一人が言う。

「しかしこの雛型自体、荒れた佐渡海峡を渡ることを考えて作られたものではないはずです。せいぜい荒天の瀬戸内海を行くことを念頭に置いたものではありませんか」

 弥八郎も、それがこの雛型の弱みだと気づいていた。

「残念ながら、その通りです。しかし佐渡海峡を渡るための細かい工夫は、これから考えるつもりです」

 別の大工が問う。

「この雛型を作った塩飽の大工は、冬の佐渡海峡を見たことがあるのかい」

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伊東潤
光文社
2018-10-17

コルク

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