清九郎の作事場では、様々な問題が噴出していた。
その大半は主に流儀や大工間尺(寸法の取り方)の違いによるものだったが、何とか互いに歩み寄りを示しつつ作業を進めていった。各地から集まった大工を統制する清九郎の苦労は並大抵ではなく、神経をすり減らしているのは明らかだった。
この日も舵の大きさに関する論争があった。すなわち舵の大きさを確保するには、それなりの強度が必要になり、舵と外艫部分に厚板を使用せねばならなくなる。だが、そうなると全体として船尾部が重くなってしまい、帆走に支障を来す。こういった問題が次々と現れてくるので、清九郎はその都度、全体を調整し、差図を描き直さねばならなかった。
ある日、一日の仕事を終えて、皆が三々五々宿舎の方に向かう中、清九郎の部屋に灯りがともっているのに気づいた。
弥八郎は思い切って声を掛けてみようと思った。
「精が出ますね」
「ああ、また木割を変えねばならなくなったからな」
「そうでしたね。皆の思案を取り入れるのは、並大抵なことではありませんね」
「まあ、それがわしの仕事だがな」
清九郎の顔には、疲れと焦りが表れていた。
「千石積みの船ともなれば、五百石積みの船を大きくすればいいってもんじゃない。しかも、この荒れた海を千石もの米を積んで走るわけだ。船子たちの安全も考えなくちゃならない。さらに河口港の砂洲に舵を取られないようにしろという。これらをすべて満たしていると、船の大きさや重さが途方もないものになり、千石の米などとても積めなくなる。つまり、あっちを立てればこっちが立たぬというものばかりだ」
口数の少ない清九郎には珍しく、愚痴めいたことを言った。
「仰せの通りです。わいらが取り組もうとしていることは、すべて矛盾だらけです」
「矛盾とは漢籍の言葉か」
「はい。寺子屋で習ったのですが、最強の盾と矛は共存し得ないということです」
「その矛盾とやらを、わしらは克服しようとしているのか」
「その通りです。しかし厄介事というのは、整理して考えると意外に解きやすいものです」
この時になって、ようやく清九郎は、弥八郎の位置付けを思い出したらしい。
「もういい。帰って休め。愚痴を言っちまってすまなかったな」
「お待ち下さい。一つだけ言わせて下さい。例えば、外艫の強度を高めようとすれば、船尾部の重さが増してしまう。まさに矛盾ですね」
「何が言いたい」
清九郎が顔を上げる。
「これまでは、千石船も五百石積みの船と同じに造ればよいと考えていました。しかし新しい木割や差図を考えていかないと、こうした矛盾はなくしていけません」
「そんなことは分かっている。だが、すべての厄介事を解決できる差図が描けないんだ」
「では、わいの話を聞いていただけますか」
「お前の話を聞けだと。馬鹿も休み休み言え、これまでお前さんは何艘の船を造ってきた」
——そうした経験が、新しい思案の妨げになってるんじゃねえのか!
胸底から怒りの炎が吹き上げてきた。だが弥八郎は、それを抑えると言った。
「仰せの通りです。わいは手伝いで船を造ってきただけで、己が指揮を執って造った船など一艘もありません」
「それが分かっているなら何も言うな。この仕事は経験を積まねばできない。経験を積んでいるからこそ、新しい思案も生み出せるんだ」
だが清九郎の面には、不安の色が垣間見えた。
——おとっつぁんと同じだ。
嘉右衛門は厳格なだけでなく自信に溢れていた。その考えは鉄のように堅固で、雇い主の丸尾屋五左衛門でさえ手を焼くほどだった。だが時折、迷いのある顔をすることがあった。
——あれは、経験に囚われていることに対する不安だったんだ。
弥八郎は勝負に出た。
「ですが頭、逆だとは考えられませんか」
「逆だと」
「そうです。千石船は佐渡の荒波に耐えるだけでなく、内海の浅瀬にも対応せねばなりません。そうした矛盾を打ち破っていくには、新しい思案が必要だと思うんです」
「そんなことは分かっている。だが経験なくして思案も出てこない」
清九郎の面には、不安の色がありありと浮かんでいた。
「いかにも、その通りです。しかし経験だけが、新たな思案を生むものではありません。一を知る者には一の知識しかありませんが、十を知る者には十の知識がある反面、常識と思い込んでいる考え方(固定観念)に縛られることもあるんじゃないですか」
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