機会を逃せば他人にすべて持っていかれるんだ」若獅子の船 ー4

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 うららかな春の日差しの中、することもなく作事場の前に佇んでいると、突然、取り巻きを引き連れて重正がやってきた。

「棟梁、おはようございます」

 嘉右衛門は腰をかがめて挨拶したが、重正はうなずいただけで、無愛想に作事場を眺めている。

「どうかなさったんで」

「どうかも何もない。これだけの大工が働いて、船はふたつきから三月で一隻か」

 五百石積み級の船の建造には五十日から六十日は掛かっているが、それがほかと比べて長いということもない。

「船の注文は、ひきも切らず来ている。今は亡きうえはお前の言うことを信じ、繁忙期にはお得意さん以外の注文を断っていた。だが、これだけ頭数がそろっていれば、輪木をもう一つか二つ設けて、同時に何隻も造れるんじゃねえのか」

 重正が作事場内を見回しながら言う。

「いや、それは無理です。船は造るだけでなく海に浮かべねばなりません。そのためには、幾度となく様々なことを確かめねばならず、次から次へと造れるものではありません」

 嘉右衛門は続けた。

「しかも河村屋さんのきもいりで、お上の城米船の新造注文が年に二隻か三隻は入ってきています。それを断ることはできません。また、すでに造った船の中作事や小作事も入るので、新造で年に五、六隻がやっとです」

「大工を増やせばいいじゃねえか」

「大工というのは、そう容易には育ちません。童子の頃から叩き上げないと、なかなか物にならないのです」

「そうは言っても、城米廻漕で評判を取ったおかげで、各地から塩飽に注文が殺到しているんだ。それを受けない手はない。せめて今の工期を半分にして、一年で十隻ばかり造れないか」

「そいつは無理です。わいらは人様の命を預かっています。やっつけ仕事で、船は造れるもんじゃありません」

「誰がやっつけ仕事でやれと言った!」

 重正が目を剝く。

「いいか、商いっていうのは、機会を逃せば他人にすべて持っていかれるんだ。今、大坂では次々と大工が独立し、新しい作事場を立ち上げている。このままでは、すべての新造船を大坂に持っていかれる。ここに来るのは老朽船の修繕だけになるぞ」

 そうした商いの状況は嘉右衛門の職掌外であり、何とも答えようがない。

 重正が結論付けるように言う。

「腕のいい流れ大工を連れてくる」

 流れ大工とは、どこにも所属せず、その時々の賃金に応じて働く場を変えていく大工のことである。腕は確かだが性格に難のある者が多いので、繁忙期でも受け入れたことはなかった。

「船造りには流儀があります。一人前の大工は、それぞれのやり方を持っており、それを塩飽流に変えていくのは容易なことではありません」

「それを従わせるのが、お前さんの仕事じゃねえのか。それともお前さんじゃ、それができねえって言うのか」

 重正が口端を歪めて笑う。

「できねえなら、頭を替えるしかねえな」

「えっ」

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男たちの船出

伊東潤
光文社
2018-10-17

コルク

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