佐渡の冬は弥八郎の想像をはるかに超えていた。雪は少ないものの、凄まじい寒風がうなり声を上げて吹きすさび、海は連日のように大荒れとなる。浜辺に近い宿根木の集落には、昼夜を問わず砂塵が舞い踊っていた。
厚い雲間を通してまれに日も差すが、そんな日は珍しく、昼とも夜ともつかない日々が続く。そうした厳しい自然環境の下、佐渡の人々は身を寄せ合うようにして暮らしていた。
冬の間、漁師たちは海に出ることができないので、秋までに作っておいた干物をかじり、浜に流れ着く海藻類を拾って食べていた。例年並みの収穫があれば、米や野菜も島民に行きわたるのだが、ここ数年、不作が続いたので、飢えに耐えて春が来るのを待つしかなくなっていた。
「こんなところで船が造れるのか」
囲炉裏を囲んで座る大工の一人が、体をちぢこまらせるようにして呟く。
「こんな荒れた海に、船など出せるもんか」
「でも河村屋さんや清九郎さんは、冬の佐渡海峡をものともしない大船を造るつもりだろう」
「そうだ。真冬の佐渡海峡を渡れる船を造るとさ」
「沖のうねりは、でかくてすごい力を持っているはずだ。それに耐えられる船など造れるもんか」
どうしても会話は否定的な方向に流れていく。
そうした話に耳を傾けながら、口元まで出掛かった己の考えを抑えるのに、弥八郎は苦労していた。
——今、話をしても、皆に軽くあしらわれるだけだ。
己の考えをみだりに述べても、気難しい大工たちは容易に受け入れないだろう。
「そろそろ仕事に掛かろう」
清九郎が煙管をくゆらせながら現れた。背後には孫四郎もいる。
「へい」と答えた大工たちが一斉に動き出す。
「今朝方、小木港に便船が入ったらしい。本州から皆に書簡が届いているかもしれない」
「この時化の中を渡ってきたんですかい」
大工の一人が問う。
「そうだ。一冬に一度か二度だが、風波の間隙を縫えば渡ってこられないこともない」
——だが河村屋さんは、そんな間隙を縫わずに、いつでも佐渡海峡を渡ってこられる大船を造ろうとしているのだ。
それがいかに困難かは、誰もが知っている。
「孫四郎と弥八郎は、便船が届けてきたものを取りに行ってくれ」
「へい」
弥八郎の心に一瞬、「半人前扱いしやがって」という思いが浮かんだが、それを抑え付けて立ち上がった。
二人は防寒用の赤合羽(桐油合羽)を着て笠をかぶり、顔中に布をぐるぐると巻き付けると、寒風吹きすさぶ屋外に出た。
風が鳴り、波が砕け、さらに家々の木張りの壁が軋み音を発するので、会話もままならない。風垣の外に出ると、砂が舞い踊り、まともに目も開けていられない。
宿根木の目前の浜は大浜と呼ばれ、その東端に台地がせり出し、そこには渡海弁天が祀られている。その台地の突端を過ぎると、厚浜と呼ばれる浜が続いている。
「今日は風が強いな」
弥八郎の言葉に、「えっ」と孫四郎が問い返す。
「今日は風が強いな!」
弥八郎は叫ぶようにして、もう一度言った。
「冬は、いつもこんなもんですよ」
孫四郎が笑う。
二人は、波の花が飛んでくる浜の道を風に抗いながら進み、ようやく小木港に着いた。
あまりに風が強いためか、小木港でも外を歩いている人はほとんどいない。二人が問屋場に行って荷物を受け取る手続きをしていると、新潟から便船に乗ってきた面々が、会所で酒盛りをしているのを見かけた。
「これじゃ、今年の冬は新潟に帰れねえな」
「しょうがねえさ。ここでゆっくりしていこう」
「そんなことになれば、お前の嬶が誰かの布団に引きずり込まれるぞ」
船子たちがどっと沸く。
「でももう少しで、わしたちも『地獄の窯』に引きずり込まれるところだったな」
「あれは間違いなく『地獄の窯』だ。物見の助蔵がいち早く見つけたから避けられたものの、もっとでかい窯だったら、引きずり込まれてお陀仏だった。ああ、くわばらくわばら」
一人がおどけたように身を震わせる。
——「地獄の窯」だと。孫四郎が話していたやつだな。
孫四郎の方を見たが、番役と話をしていて会話には気づいていないようだ。
「すみません」と弥八郎が声を掛ける。
「皆さんは、新潟から来た便船の船手衆で」
「ああ、そうだ。何か文句あるのか」
難癖を付けられたと思ったのか、船頭らしい男が凄味のある声で答える。
「今、お話しになっていた『地獄の窯』とは何ですか」
「お前は、佐渡にいてそんなことも知らねえのか」
「へい。佐渡は新参なもんで」
「そうか。それなら仕方ねえ。教えてやろう」
男は得意げに語り始めた。
「潮と潮が当たる場所を潮目という。それが小さな潮どうしなら海もさほど荒れず、逆に絶好の漁場となる。だが大きな潮どうしがぶつかり合うと、海中で潮が乱れ、その力は上方にも向かい、大きなうねりを作り出す。そこに引きずり込まれたら、どんな船でも転覆するか破船する」
「ここの海には、そんな恐ろしいもんがあるんですね」
「ああ、だから皆は『地獄の窯』と呼んでいる」
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