翌朝、作事場に顔を出す前に丸尾屋に向かった嘉右衛門は、番頭から五左衛門の病が深刻だと聞かされた。
どうやらあの後、苦しみ出して意識を失ったらしい。今は牛島唯一の医家が付きっきりで看病しているので、小康を得ているという。
それを聞いた嘉右衛門が「棟梁に挨拶だけでもさせて下さい」と言うと、番頭が意向を確かめに行った。しばらく待っていると、番頭が「主人が来いと言っています」と伝えてきた。
嘉右衛門が奥の間に入ると、五左衛門は床に臥せっていた。
「嘉右衛門か」
その声も弱々しい。
「へ、へい」
「皆、下がってくれ」
五左衛門を囲んでいた医家や女中たちが、ぞろぞろと下がっていく。
広い奥の間は、五左衛門と嘉右衛門だけになった。
「棟梁——」
「心配するな。すぐに癒える」
だが五左衛門の顔に生気はない。
「いったいどうしたんで」
「どうやら胃の腑の病らしい。大坂の医家がそう言っていた」
「これまでは分からなかったんですか」
「ああ、牛島の藪は、今まで『棟梁の体は何の心配もありません』なんて言ってやがったが、わいが大坂の医家の診断を教えてやると、『実は、わたしもそうではないかと疑っていました』だと」
二人は笑い合った。
「でも、たいしたことはなくて何よりでした」
「いや、どうやらたいしたことがありそうだ。このまま病臥したままになるかもしれない」
「ま、まさか」
「そりゃ、立って歩けないこともないさ。だが仕事は、とても無理だとさ」
「では、いよいよ——」
嘉右衛門が語尾を濁したが、五左衛門は他人事のように言った。
「ああ、無念だが隠居せざるを得まい。これからは重正が店を仕切ることになる」
五左衛門重次の跡取りには、養子の重正が五左衛門重正と名乗って就くことになっている。
「これまでと変わらず、われらは重正様の下知に従います」
「そうしてくれ。奴は至らないかもしれないが、頭は悪くない。何とか丸尾屋を回していけるはずだ。だが生まれが生まれだけに甘やかされて育ったのか、少し手前勝手で強引なところがある。面白くないこともあるかもしれないが、堪忍してやってくれ」
「もちろんです」
五左衛門が唇を嚙む。
「お前には悪いが、唯一残念なのは、弥八郎に千石船を造らせてやれなかったことだ」
「棟梁、それは——」
突然、五左衛門の腕が伸びると、嘉右衛門の襟首を摑んだ。
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