6 天才とは
休日は、島本田恋と三沢夢二が姿を現しそうな場所を訪れることにした。ふたりは日頃からよくつるんでいた。そこでばったり会えないかと考えたのだ。
六本木WAVE、青山のパイド・パイパー・ハウス、渋谷はハンター。ふたりが行きつけのレコ屋に私も当時足繁く通い、レコードが入った段ボール、通称〝エサ箱〟を漁ったものだ。忘れられないのは渋谷のハンター店内に自販機があって、なぜ狭い店のど真ん中に置いてあるのか、客はおろか店員もわからないのだが、とにかくそこにあった。
ドルフィン・ソングのふたりはそれをネタにしたことがあった。たしか、『Olive』だったと思うが、夢二が、「いま、渋谷ハンターの自販機でジュースを買って飲むのがラブリー!」とか言い出したのだ。笑った。そんなこと誰もやるわけない。なんて根性が悪いのだろうと。そうしたら後日、ハンターに行ったとき、知らない女の子たちが本当に店でジュースを飲んでいたのを目撃した。
ドルフィン・ソングはファッション・リーダーだった。アルバムごとに音楽性がガラッと変わるのと同時に、服装もベレー帽とボーダーのシャツから、ゴルフ帽とペインターパンツに切り替わった。九〇年代のイギリスの音楽ムーブメント、マンチェスターこと「おマンチェ」の影響だった。私たちもすぐに彼らのあとを追いかけた。
CASIO SA 1も流行った。八○年代後半にカシオが作った、ハンディサイズのシンセサイザーだ。チープだが肌触りのある電子音で、当時からすでにレアだった。ふたりがSA 1を手にポーズを取るアー写に憧れ、弾けもしないのに私たちは猿のように争って買い求め、ふたりを真似したスナップを撮るなど、ちょっとした「フィンドル」ごっこを楽しんだ。
もちろん表面だけではない。ドルフィン・ソングがいなかったら、私はあんなに音楽に詳しくなることはなかっただろう。
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