ええ、実にうまいです」若獅子の船 ー1

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

延宝二年(一六七四)も瞬く間に終わり、延宝三年の元旦を迎えた。

 例年のように、作事場の大工や関係者を率いて池神社に出向いた嘉右衛門は、皆の「無病息災」と自らの作事場で造った船の「安穏無事」を祈って奉幣した。

 神妙な顔で神主の祝詞のりとを聞いた後、皆で作事場に戻り、嘉右衛門が訓示を垂れて解散となるが、その後は作事場内で酒盛りになる。

 しばらくの間、皆と酒を酌み交わしていた嘉右衛門だったが、微妙な空気を感じ取った。

 —わいは疎外されているのか。

 これまでと違い、誰もが嘉右衛門と目を合わせないようにしている。

 —いや、気のせいだ。そんなことはねえ。

 だが違和感は次第に大きくなっていく。

 —そうか。これまで皆は、わいと並んで座す市蔵に話し掛けていたんだ。それをわいは、己にも話し掛けられていると思い込んでいた。

 市蔵は嘉右衛門が話の輪の中心にいるように、それとなく仕向けてくれていたのだ。

 それに気づくと居たたまれなくなり、半刻も経たないうちに、「棟梁のところに挨拶に行ってくる」と告げて作事場を出た。

 道すがら、嘉右衛門はつい三年前の新年の酒盛りに思いを馳せた。

 —あの時は市蔵も弥八郎もいた。弥八郎は、「飲むな」というのに無理して濁酒を飲み干して倒れちまったな。

 大工たちは一人ひとり、車座の中心にいる嘉右衛門の前に来て今年の抱負を述べるのが習慣だった。その度に誰かが茶々を入れ、皆が沸くことを繰り返した。常は厳格な嘉右衛門も、正月だけはにこやかな顔で盃を受け、苦言など一切言わなかった。

 —そんな正月を過ごすことは、もうないんだな。

 空は晴れており、とんびが一羽、獲物を狙うでもなく悠然と風に乗っている。

 —お前も一人で正月を過ごしているのか。

 嘉右衛門は自嘲すると、丸尾屋へと足を向けた。

 丸尾家でも正月の祝いで親類縁者が集まり、たいへんな賑わいだった。

 嘉右衛門が挨拶に来たと告げると、早速、奉公人の一人が奥の間に案内してくれた。そこでは、五左衛門が親類縁者と車座になって酒盛りをしていた。

「嘉右衛門か。いつもは二日に来るのに元日に来てくれたか」

 五左衛門は親類たちに囲まれて盃を重ねていたらしく、すでにでき上がっていた。

「元日は親類縁者だけの集まりと知っていたのですが、いの一番に挨拶だけでもと思い、足を向けてしまいました。すぐにおいとまいたします」

「何を水臭いことを言っているんだ。お前は親類も同じだ。こっちに来て盃を受けてくれ」

「へ、へい」

 それを機に、親類たちは五左衛門の許から下がっていった。

「ああ、そうだ。お前は残っていろ」

 五左衛門が一人の若者に声を掛けた。

「嘉右衛門、確か初めてだったな。うちに養子入りする重正だ」

「大工の嘉右衛門と申します。お見知りおきを」

 重正は小声で何か言っているが、よく聞き取れない。

「おい、はっきり物を言え」

「す、すいません。丸亀のこんの三男で、このほど丸尾屋さんとの間で養子縁組が整った重正と申します」

 子のいない五左衛門は以前から養子を探していた。それがようやく見つかったと喜んでいたが、まさか丸亀屈指の廻船問屋の金毘羅屋の御曹司とは思わなかった。

「重正は、金毘羅屋さんで商いのことをみっちり叩き込まれたと聞く。これでわいも肩の荷が下りた」

「そいつはめでたいことですね」

「それはいいんだが、正月早々どうしたんだ。作事場でも正月祝いをやっているんだろう」

「ええ、やっています」

 それだけ聞いて嘉右衛門の気持ちが分かったのか、五左衛門がため息をつく。

「堂々と居座っていればよいものを。お前の作事場だぞ」

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伊東潤
光文社
2018-10-17

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0mo_om0 「時の流れだけは皆同じだ。」 そうなんです。 物理的に、これだけは同じ。 #伊東潤 #男たちの船出 2年弱前 replyretweetfavorite