本気でやりたいことを見つけるには?
博報堂に新卒で入社して7年目の春、僕は会社がこれまでにやったことがないことを、「どうしてもやりたい」と役員に直談判しました。
「博報堂でモノづくりをしたい」、その思いが噴出したのです。
自分が本当にやりたいことが見つかって、行動に移さずにはいられませんでした。
しかし、僕自身も、「博報堂でモノづくりをしたい」という気持ちを持つとはまったく考えていませんでした。
そもそも、単純にモノづくりがしたいと考えるなら、広告会社は選んでいなかったと思います。
しかも、僕は大学では建築を学んでいました。
それがどうして、広告会社なのか。はっきりとした意思があったのか、と問われたら、流れに身を任せたというのが正直なところです。
さらに、僕は大学を途中で替わっているのですが、そもそも学部の選択にしても、確たる将来への道筋が立って選んでいたわけではありませんでした。会社選びも同じです。
では、そんな僕がなぜ「本気でやりたい」と思うことを見つけるに至ったのか。
ポイントは大きく3つあると思っています。
〇 この道じゃない、と思ったら逃げる。
〇 非常識を恐れない。
〇 会社の外で自分を試す。
これから、僕がやりたいことを見つけるまでの話を詳しくしていきたいと思います。
物事をなめてはいけない、を知る。
なぜ僕が、本気でやりたいことを見つけられたか。そしてそれを実現させるために「会社を使い倒す」という手段を選ぶに至ったのか。
振り返ってみると、それは僕が会社に入る前に経験した、さまざまな失敗、回り道によって学んだところが大きいと思っています。
本題に入る前に、まずは僕の生い立ち、会社に入る前の紆余曲折について、お話しさせてください。
僕の両親は幼い頃に離婚していて、僕は母方で育ちました。
母は大阪で大学の先生をしていたのですが、今も覚えているのは、保育園に通っていたとき、母が僕を迎えにくるのが、とても遅かったことです。
当時、母は助教授になる前で、研究もしながら子育てもして、特に大変な時期だったそうです。
まわりの友達の親がどんどん迎えにくるなかで、決まって最後は僕一人。
ようやく迎えにきた!と思ったら、母に頼まれて代わりに迎えにきてくれた隣のおばちゃんだったりして、やっと帰れるけど、オカンじゃない……と、ちょっとせつない気持ちになったのを覚えています。
姉もいたのですが、歳が5つ離れていたので、僕はわりと一人遊びをしていることの多い子どもでした。
一人でずっとブロックやレゴで遊んでいて、母も、それを与えさえしておけば僕は楽しそうに遊んでいるし、そういうことがこの子は好きなんだろうな、と思っていたようです。
つくったものを母に褒められるとうれしくて、今思い返せば、それが僕のモノづくりの原点だったと思います。
小学校の卒業文集では、おそらくテレビで見てかっこいいな、と思ったくらいの理由だと思いますが、建築家になりたい、と書いていました。
テレビゲームや一部のアニメなど、わずかに禁止事項はあったものの、基本的に放任でした。悪いことをしない限りは怒られたりもしない。
4年前に僕が結婚したとき、結婚式で母への感謝のスピーチをするにあたって、改めて何がありがたかったか振り返ってみたのですが、わかったことは、僕はとても「わがままに育てられた」ということでした。
思い通りにいかないと、とにかくごねるし、叫ぶ。だから、反抗期には、母はとても苦労したと思います。
ただ、わがままに育てられたおかげで、やりたいことがあったとき、人よりも遠慮せず主張する性格になったのだと思っています。
自由にさせてもらったし、どういう道を選ぼうと、なにか縛りをかけられることもほとんどなかった。母にはとても感謝しています。
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