〈「いだてん」第3回「冒険世界」あらすじ〉
家族の期待を一身に背負って上京した四三(中村勘九郎)だったが、東京高等師範学校での寮生活になじめない。夏休みの帰省では、スヤ(綾瀬はるか)の見合いがあると聞かされる。傷心で東京に戻った四三は偶然、三島弥彦(生田斗真)ら天狗倶楽部による奇妙な運動会を目にする。マラソンとの運命の出会いだった。一方、浅草の不良青年、美濃部孝蔵(森山未來)も落語にのめり込もうとしていた。のちの大名人、古今亭志ん生への第一歩が踏み出される──。(番組公式HPより)
美川、発情す
これまでバラバラに描かれてきた人物たちが、次第にあちこちでつながり始めようとしている。その中にあって、美川はどうしてしまったのだろう。第二回に出てきた美川くんは、漱石の小説に対して「文体のすばらしかよ~」と感想を述べたりして、軽いながらも純情な読書人だと勝手に思っていたのだが、書生気質が身につきだしたのか、「金栗くん」を「金栗氏」とチャラい口調で呼ぶようになったのはまだよいとして、女を見ては興奮しているのはどういうことだ。どうした美川。美しい川と書いて美川。まあ考えようによっては、『あまちゃん』で「前髪クネ男」を演じた勝地涼のイメージにふさわしい変貌だと納得できなくもない。できなくもないが、いや待て、もう少しドラマに沿った理由というのを考えてみようではないか。
それでつらつら考えてみたのだが、どうもその、漱石がいけなかったのではないか。
いや、もっと絞り込んで書くなら、『三四郎』がいけなかったのではないか。
実次にいちゃんをはじめ家族との別れで尋常ならざる鼻水を分泌し、憔悴したように眠りこけている四三とは対照的に、美しい川こと美川は車中の女性を見て感情を高ぶらせている。問題は、彼が熊本から東京に向かう車中で読んでいた『三四郎』である。これは危ない。『三四郎』はまさに、三四郎が熊本から東京に出て行くところから始まる物語だ。これではまるで、主人公の行為を主人公のいた場所で確かめようとする現在の「聖地巡礼」と同じ振る舞いではないか。
で、三四郎の方は物語の中でどうなるのかというと、一人の女性と平凡な会話を交わしたあと、どういうわけか途中で下車して、宿の同じ部屋で一夜をすごすことになってしまうのである。
生真面目な三四郎は、女と自分との間に仕切りを作って夜を明かし、結局なにごともなく翌朝女と宿を出るのだが、停車場で別れぎわに女は三四郎に「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言ってから、にやりと笑って去る。三四郎は「プラットフォームの上へはじき出されたような心持ち」になる。東京に向かう汽車の中で、三四郎は呆然と考える。「思い切ってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言い当てるものではない」。
このような話を汽車の中で読みながら、すぐ向こうの見知らぬ女性と目が合った美川は、もうどうにもたまらない気持ちになったに違いない。口では女性のことを「まるで『三四郎』に出てくる美禰子じゃないか」と言っているが、それはカモフラージュであって、本当は、小説の冒頭に登場する、あの行きずりの女のことを思い浮かべていたのではないか。三四郎の後悔をここで現実に繰り返す手があるだろうか。それこそ蓮根の穴(またしても穴!)から世界をのぞくのをやめて「思い切ってもう少しいってみる」べきではないのか。おそらく美川は『三四郎』と同じような車中に身を置き、昼夜揺られ続けることによって、漱石描く物語世界に感応してしまったに違いない。美川は小説に発情してしまったのだ。
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