性同一性障害を救った医師の物語⑤

たとえ罰せられても医師として覚悟の上。国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に悩める患者を救い続けてきた伝説の医師が今蘇る!書籍「ペニスカッター」より、本文を抜粋してお届けします。

性同一性障害を救った医師の物語⑤


前回からのあらすじ
美容外科医で働く傍ら、耕治は運命の出会いを遂げる。パブで出会ったニューハーフから除睾手術を依頼されたのだ。日本で過去に治療実績はあるが、医師が手を出したがらない手術であることが判明する。それでも耕治は正当な治療であることを確信して、初めての除睾手術に挑んだのであった。

第4章 初めての性転換手術

相談

一年ほど経った頃。 相変わらず、毎日起きるとどこにいるかわからないような激務の多重アルバイト生活だった が、大阪に滞在したおり、ニューハーフのAさんから、完全に性転換手術をしたいと相談があった。 当時は、耕治はまだAさんの除睾手術を一人で執り行ったのみで、その他は一般的な美容整形を各勤務先でこなしていただけだった。

この一年、毎日多忙で疲れ果てていて、夜にショーパブに遊びに出かけることも全くなくなっていた。Aさんは耕治の消息を誰にも話さなかったようで、ニューハーフたちのあいだでは耕治は行方不明状態となっていた。

除睾術と違って、入院も要する大手術ですし、もちろん経験もなく、まともな手術書もありませんから、見よう見まねでもできるわけがありません。無理だと断りました。 (中略)堂々とやったらいけないだけで、日本の先生なら他の難しい手術もできるのだか ら、頼みこめば何とかしてくれると思われたのでしょうが、そう簡単にはいきません。

実は当時、ごく一部の国内の大学の形成外科関係者らの手によって、性転換手術が実験的になされていたのは耕治も知っていた。京都のK先生が簡易式の性転換手術を手掛けているのも聞いていた。一九九四年当時の性転換希望者たちは、それまでの手術代の高いシンガポールから、安いタイ・バンコクのヤンヒー病院にようやくちらほらと移り始めていた。実はAさんの店のママも、大阪のある医大の形成外科の関係先で、少し前に性転換手術を受けていたのだという。

耕治は、Aさんが性転換手術を受けたいという気持ちは話を聞いてよく理解できた。何よりも美容形成の医師として手術に対する関心もある。やれるものなら何とかしてやりたいと思った。 Aさんは「患者の気持ちに真摯に向き合ってくれる先生」として、海外での治療ではなく、 耕治の治療を求めていた。

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性同一性障害の手術を約600例執刀した医師・和田耕治のノンフィクション

この連載について

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性同一性障害を救った医師の物語

和田 耕治/深町公美子

「たとえ罰せられても医師として覚悟の上。国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」。 性同一性障害者の手術を約600例執刀した医師・和田耕治の知られざる物語。 日本国内で性転換(性別適合)手術がタブーの頃から自らの哲学のもと、性に...もっと読む

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hojosha 絶賛発売中の新刊『ペニスカッター: 『第4章 初めての性転換手術 』をUPしました。 https://t.co/T1V2pymH5r 2ヶ月前 replyretweetfavorite

hary_jp #スマートニュース 2ヶ月前 replyretweetfavorite

xS1BaVgAVMhSI2P 本文公開、第5弾です。日本の性転換手術が、こんな風に開発されてきたと初めて知りました。 2ヶ月前 replyretweetfavorite